第19回 紅雀の

2015年4月14日(火) 鶴橋・雀のおやど

桂 弥太郎 「つる」
桂 紅雀  「向う付け」 
桂 雀五郎 「厄払い」
桂 紅雀  「天神山」(ネタおろし)


お客さん、びっくりするくらい多かったです。
天神山、何だかんだ言って良かったなあ。
帰ってからメモしたらA4用紙二枚埋まりました。



受付に南天さんが立って居たので、
思わず二度見してしまいました。
べにてんに来た感じ!
でも受付を改めて見たらY川さんが居て、
「紅雀の」だな! と思いました。

お客さんは、吃驚するくらいの大入り。
南天さんのツイッターを見て来てくれた人が
沢山いたのでしょうか。
何となく、雀五郎さんファンや弥太郎さんお目当ての人も
来ていたように思います。


開口一番は、弥太郎さん。
マクラはどことなく早口。
Wアイコって言った時にお客さんがワッと笑ったのですが、
そういうアイドルが居るのでしょうか?
 紅雀さんのことを、親に聴けない(言えない?)ことを
教えてくれる、おじさん的な存在だと。
 「つる」の前半は私がぼーっとしていたのか、
くすぐり部分が余り思い出せません。
後半はよく受けていたように思います。
主人公の友達が「誰やと思たら町内のアホやないか。
今日はどや、頭の調子の方は」(※うろ覚え)
ここでドンって来て、ぐーっと調子が上向きになったような。
 あと、「カンナを置いてこっちを見て!」とか、
「(人差し指を見て)くう~~、ええなあ」が良かったなあと
思います。
 一瞬、紅雀さんから「つる」を習ったのかなと思ったのですが、
弥太郎さんは見台ありで、紅雀さんは無しでした。
 これ、難しいなあと思ったのは、
話の話題を腰折って「そういえば、床屋の衝立につるの絵があって」とか、「そういえば、つるって首が長ぉおまんな」っていう、「…そういえば」と言う直前、ハタと何かに気付いた表情の間合いです。ここは流石に紅雀さんの方がうわてで自然だなあと思いました。


お次は、紅雀さん。
傘のマクラを三つ。
行きつけの喫茶店が「二階建て」で…。と言った時に、
もしかしてあのお店かな? と思いました。
今度機会があれば…いいえ、私は怖くて行けません。
 向う付けは久々に聴きました。
テンポ良く、盛り上がっていたように思います。
 主人公の歩き方、走り方が少し変わった気がする。
腕を回すタイミングって、ああだったっけ。
 帳場の最後のお客さんは某政党から除名されたばかりの
議員さん。「誰でんねん、あんたは」(※うろ覚え)。
落語ってセルフ突っ込みって言いませんよね。
 上記の場面がピークでは無かったように思いますが、
全体的にここまで受けるかと思うほど受けていました。
お客さんが多いって本と幸せです。笑いの連鎖反応が起こるので。
この一席で五年ぐらい寿命が延びた気がします。


お次は、ゲストの雀五郎さん。
マクラは奈良県五條市のお寺の仕事を、
紅雀さんから依頼されて…というもの。
前の席の人がクスクス笑っていたので、何が起こるんだろうと思っていたら紅雀さんファンがのけぞるくらいの面白エピソードでした。「あの人ムチャクチャでっせ、人の気ぃ悪うして、傘の一本や二本、何ですねん」(※うろ覚え)で、お客さん大笑い。
 雀五郎さんの落語、とぼけた台詞に何とも言えない味わいがあります。他の噺家さんが取りこぼしそうな、一見小さな何でもないクスグリを笑いに変えてしまう。それが積み上がって空気が変わって来る所が凄い。
 印象に残っているのは「鶴は十年」(※以下、うろ覚え)「ちょっと待て、十年って何や」「あっ、シャッポン(帽子)忘れてた」。
 主人公が立ち去った後、奉公人たちが次々に地口を言います。ここがちょっと蛇足のように思われました。米左さんの時には感じなかったことです。戸の隙間から漏れる光でカンニングペーパーを読む場面も米左さんの方が良かったかな。(年季が余りにも違うけど一応目安に)。
 最後の場面は、主人公が居なくなるので、誰がやっても蛇足には違いないと思います。ただ、地口の前の場面で大笑いさせて、徐々にお客さんの高ぶった気持ちを沈静化させていく効果があるのではないかなと。花火にたとえるなら、ドーン(打ち上げ・大笑い)→シューシュー(花火が落ちていく・地口)→ジュー(消える・サゲ)。雀五郎さん、打ち上げる場所か高さを間違えたのかなあと。素質が凄く高い噺家さんなので、あえて高度な注文をつけてみました。
※言い訳めいたメモ
昭和40年の『上方風流(かみがたぶり)』、米朝さんの「はてなの茶碗」がめちゃくちゃきつい批評を書かれてて、足が震えました。それをずばりと書いた人は次の号で亡くなってました。


最後は紅雀さんの天神山。マクラ無しで始まりました。
メモが多すぎて上手くまとめられるかどうか。取り合えず書き出します。
・冒頭は「ええ天気やなあ」「ええ天気やねえ、まっ青(あお)やねえ」「まっ青(さお)、やろ」。聴いたことが無いやり取りで始まりました。枝雀さんもこう言ってたのかな。
・源さん、はじめの方は間延びした喋り方で年齢不詳っぽい。
・髪型は月代(さかやき)部分を伸ばして、両鬢を剃ってる。
(私の心の声:エグザイルみたいや)
・縮緬の着物の上からボロ布を継ぎあてている。
縮緬の着物の裾は、軽石でこすってボロボロにしている。
四季の着物ではない。
・しびん酒、おまる弁当。サラやと言わない(衝撃)。
(弁当なだけに便が入ってた…とか言ってた気がする。
このクスグリを言うためにサラにしなかったのだろうか)
・小糸の墓の前で拳遊びをしない。
墓の前で、まあ一杯…と一人遊びをするのは他の人と同じ。
・ドクロを持って帰る理由が独特。
「床の間に飾ったらええな」ではない。
「花見に来ている人の前でオエーッと吐くふりして、
懐からドクロ落としたら、周りの人吃驚するで」というような事を言ってた。
・胴乱の安兵衛はちょっと喜六っぽい。
・月代(さかやき)と言ったけど、キツネの値段は「五円」。
・私は実はハガキのくすぐりが好きなので、
明治時代の設定にしてくれたらなあと思う。角右衛門さんはどうしても
外せられないクスグリだけれど、明治前半には何人か居たのではないか、
とか思ってしまう。
・一番びっくりしたのはキツネの出し方。
見台のせいでキツネが良く見えない(ほんまにおらんのやけど)。
でも、紅雀さんの手の動きでキツネが居るなあと思った。
あえて見台でキツネを半分見えなくして、
お客さんに想像させている形を取っているのかもしれない。
 米紫さんは見台無しでキツネが物凄くリアルだった。
ただ、少しリアルすぎて手がせわしないなあとも思った。
(そこが面白いところなんだけど)。
吉の丞さんは見台無しでキツネの胴を掴んだまま、
余り動かない。それも却って想像力を膨らませると思う。
紅雀さんは二人の中間(米紫さん寄りだと思う)
の位置するやり方。枝雀さんはどうしていたのだろう、
今更ながら凄く気になって来た。
・安兵衛が何度も涙目になる(笑)。
でもキツネを手にした途端、眼の色が変わる。
こういう所がええなと思う。
・サゲは、キツネが女の人に化けて、「おーい」と
安兵衛を後追いする場面まで行かなかった。
(キツネに女友達紹介して(?)みたいな事は言ってた)。
キツネを逃がしておしまい。
「ある晴れた春の日のお話でした」(※うろ覚え)。
・米朝さんは「天神山」は元々キツネの恩返しの話、と書いていたように思う。時代と共に、それがメインで無くなっていた。キツネを助けるまでが見所。それをぐっと強調して、恩返しまでいかない、キツネを助けた話にしてサゲた。安兵衛がさして見返りを求めずした行為だということが引き立って良かったように思う。


※追記
・他の噺家さんは、キツネにおっぱいがあって、子持ちという設定にしていることが多いように思う。紅雀さんのキツネはおっぱいも子どもも無かったように思います(うろ覚えですが)。
・後日、枝雀さんのCDを聴きました。終盤の子キツネ兄弟の会話や登場人物の話し方は独特の表現ですが、その他の大部分のテキストは古典的な内容に沿ったものだと思いました。紅雀さんの天神山は従来のテキストに対してかなり挑戦的で革新的な内容です。


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Wアイコ

Wアイコですが
愛子内親王の事で
米朝師匠からみて、紅雀さん・弥太郎さん(雀五郎さんも)
「ひ孫」に当たるので
昭和天皇からみた、愛子様が「ひ孫」にあたるという例えです。

愛子さま

ではWアイコっていうアイドルは居ないんですね。笑
「愛子さま」で笑い声があって、
「Wアイコで…」で笑い声があったので、
そいういうアイドルが居るのかなと思ってしまいました。

愛子様のくだりはコワイ右翼の団体に見つからないよう、記事の本文にはあえて書きませんでした。今のところコメント欄は検索に引っ掛からない(と思う)ので比較的自由に発言できると思っています。

葛の葉

実際、この演目は見たことがないのですが、文楽の蘆屋道満大内鑑のパロディというかオマージュというか、天神山というネタの本質はそこです。文楽や歌舞伎は知りませんでしたが、葛の葉という名前はなぜか子供の時からインプットされていました。演芸や小説やいろいろな場面で出てくる信太の森の狐のイメージ。近くは、きつねうどんのことを信太という符牒もなじみ深いところです。葛の葉は、元のお話の枠を超えて生活に浸透して親しんできた存在でした。
過去から現在に至る狐のイメージを決定づけたこの話は、景清と同じくオリジナルを残してくれる人がいてほしいなと思てしまうのです。

紅雀さんの天神山は、話としてはとても面白かったっですよ。それとは別の話として...
これ、言い訳になってる?

ネタの本質

落語の良さって、古典テキストと時代によって変わって来るフラットな言葉が同居している点だと思うんです。その割合の好みは人それぞれだと思いますが。

噺家さんってほんと言葉を大事にして、自分の納得のいく言葉、お腹の底からそうだと思える言葉じゃないと落語で口にしないのではないか思うほどです。登場人物の仕草付の言葉なので、誤魔化したりあやふやにしたら、芸がぶれますよね。ネタの本質が変わるというのは、演者がネタと向き合った時、どこまで昔のままでやれるのか、これ以上身体が付いて行けないと思った時にそうなるのだと思います。
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