らくご道

2011年3月9日(水)なんば・徳徳亭

笑福亭 生喬 ~近況報告~
桂 こごろう 「牛ほめ」
笑福亭 生喬 「鴻池の犬」
対談「夕焼け日記」
生喬さん、派手なジャケット姿で高座に。結婚式に呼ばれた話や、繁昌亭のチラシ展で2位に選ばれたという報告を。チラシの写真?制作?は三味線の豊田さんの手によるものだという事です。去年の都丸米二・二人会のチラシも確か二乗さんが写真を撮って、豊田さんがチラシをデザインされたというお話を聞いていたので(そのチラシがとても可愛いのです)、これは凄いことだなと思いました。他にも生喬魂という独演会で「重ね扇」という36年?くらい高座に上がっていない噺を復刻されるというお話もされてました。他にも、色んな噺家さんの名前が出たのですが、私は米朝一門の噺家さんですらちゃんと記憶していないので、殆どの人の名前がカタカナに聞こえました(^^;)。


こごろうさんの「牛ほめ」、これをお目当てに会に来ました。恐らく、紅雀さんが「牛ほめ」を話すときは、同じ(もしくは良く似た)テキストを口にされると思ったからです。中々牛まで褒めない紅雀さんは一端置いといて、こごろうさんの噺を聞いてみようと思いました。こごろうさん、「首を括る」というくすぐりを言い忘れて、すいません、やり直させてくださいと。そこは、不思議と聞いていて胸が痛みませんでした。(こごろうさんならオッケーなの?) それから、女の子を泣かす場面、これもこごろうさんは紅雀さんよりも詳細に語ったにも関わらず痛みを感じませんでした。「女の子が泣いて茶碗が飛んできて…」覚えているのは、それと、他にも「三人上戸」とは言わず「“わや”や」と仰ったことです。(※台無しになる、上手くいかないの意)。少し調子が悪そうに見えたこごろうさん、後はするすると最後まで話されました。こごろうさんの牛ほめは、紅雀さんの普請ほめと、テキスト的には大差ないことが分かりました。「道具屋」ほど、手を入れてない噺のように感じます。牛ほめは落語の代表的な噺の一つですから、このまま放っておいていいのかなと思わずにはおれません。5年後と言わずリベンジして欲しいです。


生喬さん、「最後まで(牛ほめを)話してくれてよかった」と。「少し前なら途中で高座を下りていたのでは」とマクラで。「ガラスのハートの持ち主なので、あと5年くらいはもう牛ほめをしないでしょう」。こごろうさん、そんなに繊細な心の持ち主だったのでしょうか。それとも生喬さんの冗談だったのかな?「鴻池の犬」は、吉弥さんの噺が印象に残っています。かなり噺の雰囲気が違ったので、驚きました。黒犬を呼ぶ声「コイコイコイ」が、生喬さんだと無いのです。それはサゲが「夫婦喧嘩は犬も食わん」だったからです。吉弥さんだと最後に「シーコイコイコイ」と言い、呼ばれたと思って黒犬が家に向いますが「坊のおしっこを出す掛け声だった」でサゲになります。それは兎も角として、一番違った点は、黒犬の兄弟「しろ」が、常吉から捨てられる場面です。吉弥さんの部分ははっきりと覚えてませんが、常吉(定吉)が素行の悪くなったしろに対し「厭な顔をする」と。河原に捨てたのは、常吉本人かどうか覚えていません。一方、生喬さんの常吉は、素行の悪くなった「しろ」が皮膚病にかかって家に帰ってくると一度は介抱しますが、恩を忘れたしろがまた悪さをするようになり、常吉はしろを「自転車」に乗せて河原に捨てに行きます。犬は帰巣本能があるので、またしろは帰ってくるのですが、もう一度常吉は泣きながらしろを捨てに行きます。しろは、そこでやっと自分が捨てられたことを知り、家に帰るのを諦めます。「しろ」を捨てるくだりが詳細で、これは人情噺に近いものがあるなと思いました。私は、どちらかと云うと、すかっと笑って帰りたい性質なので、好みによるものだと思うのですが、生喬さんの噺は技術が確かな分だけ聞いてて辛かったです。泣いている人もいたくらいでしたから。


「夕焼け日記」はお二人の対談コーナー。それぞれの噺の隙間について。牛ほめでおかしな所は、茶の間を普請した直後に、家を新築しているという設定。まず茶の間を普請してから、その周りの部分を建てたのか?池田のおじさんは、お金持ちなので家を二つ持っていて、茶の間を普請した家と、新築した家は別々のものではないか…というような事を話されました。ちなみに文我さんのおやこ寄席CDでは、茶の間は「小さいおうち」、その隣に「大きいおうち」を建てたという設定になっています。それから、牛を褒めるのであれば、牛小屋も褒めるべきだろうという事も指摘されていました。なる程。確かに牛小屋の描写がなくて、牛が出てくる場面はちょっと急な印象を受けますね。
 生喬さんの「鴻池の犬」については、しろがどうやって常吉の奉公先からいなくなるのか、といった点を主に語られていました。「自転車」にのせて捨てに行く、というのは、生喬さんの師・松喬さんが発案したものらしいです。確かに、犬は徒歩で捨てに行きづらいですね。付いて来そうですから。でも、犬って自転車のかごや荷台に乗せれるものなんでしょうか?小型犬なら見たことありますが…。ヒモで繋いで自転車で連れて行った方が自然かもしれませんね。河原に捨てると追いかけて来そうですから、リアリティを追求されるのであれば山のふもとなど、嗅覚が利かなく場所が良いかと思います。
 しろがいなくなるくだりは、色んな意見がありそうです。中には、常吉が棒でついてしろを追い出すという噺もあるそうなのですが、それはちょっとやり過ぎなのではと生喬さん。こごろうさんの場合、しろが悪さをすると常吉が飼い主なので、大人に叱られてしまいます。それを見たしろが自ら家を出る設定らしいです。常吉としろがどうやって別れるのか(リアリティを求めるのかメルヘンチックにいくのか)は、噺家さんによって違いが出てくる場面なのかもしれませんね。


会が終わって、なんばの駅まで生喬さんの生徒さん(繁昌亭で落語教室をしているそうです)と少しお話させていただきました。夏は盆踊りで太鼓を叩いているらしいです。格好いいなあ。。

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メモ

 上方落語メモの「鴻池の犬」は枝雀さんの音源を元に書き起こしされている。その中で、「今までしろを可愛がっていた丁稚」がしろを自転車の後ろにのせて捨てに行った…という台詞と、家に帰って来たしろを丁稚が棒でビャ~ッと追ったとある。しろを捨てに行ったのも、棒で追ったのも恐らく常吉だと思われる。(丁稚さんとしかしろは言っていない)。一生懸命世話をするからと言っていたのに、この扱いは確かに酷い。棒でしろを追った常吉の気持ちが分からない。この場面を入れるなら、常吉の心情(または捨てるに到った経緯等)をきちんと語った方がいいように思う。彼だってきっと辛かったに違いないのだから。そう思いたい。

 ちなみに生喬さんの噺では、しろに焼きいもの皮をくれた船場の丁稚さんのくだりがなかったように思う。少しメルヘンすぎるからだろうか。

 参考URL「上方落語メモ『鴻池の犬』」
http://homepage3.nifty.com/rakugo/kamigata/rakugo57.htm
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