蛇含草の原話

『堺旧市の懐旧』という本を読んでいたら、
落語「蛇含草」の原話と思しき話が載っていたので、
こちらに転記させてもらいます。

「上方落語の歴史」という本では、
一休さんが、大食いを自慢している人に対して、
「昔こんな話があってね…」と、
お腹がはちきれそうになって蛇含草を食べ、オチ(餅が羽織を被っていた)
という話をして、大食いを自慢している人が、ぞっとする話、
それが原話だと載っていました。

一休さんの出てくる話は「骨」の部分で、
堺の本に載っているのは「肉」の部分だと思います。



『堺旧市の懐旧』(山中金治 著)(昭和56年6月25日発行)より抜粋します


 (略)父の話しに今ひとつの笑えぬナンセンスがあった。
それはこの大寺餅の大きさに難癖つけんとやって来た大阪の某餅屋の主が、
「なんや、大寺餅ちゃァー大きい大きいと云うから見に来たのやが、
なんやこんな小さな餅しようむない、こんな餅なら五十や六十でも
食って見せまっせ、どうだす。」
これを聞いた大寺餅の主も憤然として
「そうけ、そんなら食って貰おうか、
小さいと吝(けち)をつけられてはノレンに傷つく、
五十や六十食えるものなら食って見せてくれ。」
と盆に盛ったのが大寺焼餅、
対手も意地を見せて食ったも食った、
盆の餅をば皆平らげてしまったまではよかったが、
大縁台に寝ころんだまま再び立ち上らなかったのである。
腹の中でふくらんだための昇天であったのだ。
父が二十九才の春であったとか。



堺の大寺餅は、安くて大きくて旨い、と評判の餅だったそうです。
それにしても、大寺餅の店主さん、
「そうけ」って…!
泉州から出てきた人なのかしら。
堺は、三つの国の境にある国で、
何となく、堺弁じゃないなあと思います。


落語は都市で生まれたものって、
本に書いてあったのですが、
正確にはそう言えないなあと思います。
ゼロから生まれたものじゃないですね。
 地方や外国の笑い話を、
肉(主)になる話と、骨(サゲ)になる話に分けて、
くっつける作業が都市で生まれたと思います。
話術で、お客さんを満足させてお金を貰うのですから、
プロの技ですね。
 私は「くっつける」ことで、
落語が生まれたと思います。

地方の笑い話を、甘く見てはいけません。
・・・
っていうか、大寺餅の話は、実話なんでしょうか?
有名なお餅屋さんにならありそうな話だけれども、
父が二十九才の春であったとか、
って、けっこうリアルですね。

落語って、明治以降に生まれた噺が多いと言われていますが、
「蛇含草」もそうなのかなあ。
ちなみに、上の話の著者は、大正時代が幼少年期だったそうです。
そのお父さんだから、明治20年前後生まれになりそうですが…。


※2014年4月25日追記
著者のお父さんが、落語「蛇含草」を聴いて、
地元ネタにアレンジし、子供に面白可笑しく話したのかも。

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