手紙やメール

最近、手紙やメールで質問しまくっています。
何だか、手紙魔みたいです。

十代目馬生さんのお弟子さんから
お返事が来たときとか…
ファンから嫉妬されたらどうしようとか
思いました。
(しかも内容は「崇徳院」)



馬生さんのとっても変わった「崇徳院」は、
どこから来たのか、分からなくて、
お尋ねしたのですが、その昔、
上方に何年か行っていた東京の噺家さんが
いらっしゃるようで、
五代目松鶴から教わったというよりは、
そちらの線の方が濃そうだなあと思いました。
(五代目松鶴の熊五郎は、
往来で歌って人探しをするが、
馬生さんは、往来で探してもダメだ、と
お上さんが熊五郎に言う場面がある)


その人に教わったかどうか、
確証はありませんが、と仰っていましたが、
根岸の文治と呼ばれる方は、
上方に何年か行っていた噺家さんで、
その方から幾つかネタを貰ったようです。


根岸の文治は、八代目文治で、
六代目文治の養子。
六代目は生前に、一代限りという約束で、
上方に文治の名前を譲っています。
(つまり七代目文治は上方の人)
六代目の襲名(改名?)も上方でやってます。
その関係で、上方と交流があったのかなあと
思います。


思えば、三代目三木助も上方に
一時来てますし、
小南、百生などは、東京に行っています。
 金語楼の「皿屋」を読むと、
一体どこで崇徳院を聞いたのかと
思うくらいですから、直接上方に行って手に入れたか、
仕入先がちゃんとあったのでしょう。

東西の交流は、
初代文我の日記からも伺えますし、
(どうも「東京の噺家さん」ポジションが、
上方の落語会で用意されていたようで、
度々、東京の噺家さんが入れ替わっていたようです)
東西のパイプ役が居たということですね。

これは、東京の噺家さんにとっては、
長い出張、みたいなものに
なったと思うのですが、
こちらは「公(おおやけ)」で、
私的な理由で“向こう”へ行った人も、
幾人か居たようです。
金語楼は、どうなんでしょうね。
人気が有ると、大阪から呼ばれることも
あったのではないかと思います。
 二代目三木助は、借金が
かさんで…だったような。
(夜逃げやん)


話を元に戻すと、
十代目馬生さん、他の噺家と違った型で、
噺をすることが多かったようです。
禁酒番屋は、まだ見てませんが、
上方テイストが入っているようです。
(うわ~楽しみ)


芸に貪欲な姿勢、と思いますが、
裏を返せば、東京で噺を教わる人が
居なかったのかなあと、そう思うと、
ちょっと淋しいですね。
(まあ、持ちネタが多かったようなので、
そういうネタも、
ちらほら出てくるのでしょう)。

おかげで、こちらは
随分楽しい思いをさしてもらっているのですが…
「うどんや」も、
ほんと、誰から習ったんだろう?
っていう内容でしたし。
こうやって、探求できる謎の多さが、
私を浮き立たせているのかもしれません。


長い文を書いてしまいましたが、
動楽亭の感想は、明日書きます(きっと!)。
今日は手紙を出しすぎて、
頭がぎゅうぎゅうになりました。
フリーダムに書けて楽しかったです。

それにしても、千朝さんと塩鯛さんの
マクラが思い出せません…


※追記
十代目馬生の「崇徳院」は、
上方の型をベースにしているけど、
馬生のオリジナルの方が
分量的には、多い気がする…。
(これが証明できればなあ)

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