感想

春雨さんの会の感想、書けました。
一つ下の記事です。



江戸時代の大坂の案内書のような本

「難波雀」(延宝7・1679年)
「浪花袖鑑」(享保13・1728年)

を、読んでいます。
読むと言うか、眺めています。
何か、
タウンページみたい。^^


大坂の旅案内書、
しかも懐中に入れる位の小さな冊子
だったそうで、
何度もそういった本が出ていたとか。
大坂詰めのお侍さんも、
ころころ変わりますし(多分)、
商売のお店も時と共に移ろいます。


「玉造」「万屋」「勘」
「鴻池」
こういった文字を探して、
本を眺めています。

難波雀は江戸初期だし、
浪花袖鑑は、江戸中期でしょうか。
江戸後期の案内本が読みたいです。>_<
(天保の飢饉の後じゃ、
不景気になって本が出てないかも…)

とはいえ、
難波雀で、鴻池屋「喜」右衛門の
(二代目の当主だそうで)
名前を発見。
鴻池って、本当に実在してたんだ~
と思いました。
お話の中の人じゃないんですね。


浪花袖鑑は、鴻池屋善右衛門の
名前を発見。

衝撃だったのは、
鴻池「喜」右衛門の代から
(初代から?)
今橋「二丁目」に住んでいた
ということ。
一丁目じゃないんだ…。

一丁目は天王寺屋とか、
平野屋など
他の豪商が住んでいます。
鴻池ってやっぱり後から出てきた
豪商なんだなあと思いました。


一丁目に住んでいた豪商は、
落語に出てきません(多分)。
何ででしょうね。


あと、「万屋」。
飛脚屋さんと八百屋さん、
味噌屋さんで発見。
他の、◎◎屋と比べると、
万屋という屋号は凄く少ない
ですね。

ふと、思ったのですが、
上の万屋さんは家業がはっきり
してますが、
あの「よろかん」と呼ばれていた
…かもしれない「万屋小兵衛」の
家業って、余り人に言えないもの
だったのかなあと(^^;)。

天誅組に資金援助してたとか、
あとは、大塩平八郎の乱に
加担してたかもしれないという噂も。
そういうのって、
普通にもの売って儲けたお金だけじゃ
できない気がします。
鴻池さんも新撰組にお金貸してたって
いうし、そういう物騒な組織に
出資するんやって思いました。
そういう時代だったのかもしれないけど…
任侠っていう言葉の響きは良いけれども、
表と裏がありそう。

あと、万屋小兵衛が、
人から忘れ去られそうになっている
原因として、彼が工事費を担った
猫間川が現在無くなっている点も、
大きいかと思います。
あとは家業が不明である点と、
玉造っていう土地が、
辺鄙すぎるのか(失礼千万)、
大坂案内書にも、「玉造」という字が
けっこう出てくる回数少ないんですね。
う~ん。
江戸後期の本なら出てくるのかな。


彼の息子も、
万屋小兵衛という通称名だったそうで、
これは鴻池善右衛門と一緒ですね。
代々当主がその名を名乗っていたと
思われます。
何で、こんなややこしい事
するのかなあと、
思ったら、
上記のタウンページ…
違った、大坂案内書。
ずっと同じ名前が載ってる方が、
覚えやすいですよね。
あれ売って商売してる人やって。
当主の名前が屋号になってる。

富裕商人が沢山名前を持ってる
というのは、それだけ幾つも顔を
持っていたんだなあと思いました。

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「感想」をクリックすると、よろかんの話がメインにでてきて?と思いましたが、『感想書けました』ということですね。
ところで、萬屋小兵衛は、
http://www.occn.zaq.ne.jp/ringo-do/tanken_morinomiya.htmとか
http://www.occn.zaq.ne.jp/ringo-do/tanken_tenpo.htm
「酒造業で大名質屋など金融を中心とした多角経営を行っていたと考えられる」的なことが書いてありますよ。猫間川の川浚えも、一大消費地である道頓堀に、玉造の酒蔵から酒を直接送り込むため為の、生命線確保の工事だったとも。

萬屋の追加

このへんも面白いかと。
http://www.inari.or.jp/uri/
http://www.inari.or.jp/uri/map.html
萬屋小兵衛家って、「豊臣期に近江から来往し」た「玉造の開発町人」だそうですよ。
玉造で「よろずや」といえば=萬屋小兵衛家ということですね。
でも、だんだん、玉造の郷土史研究みたいになってきた(^_^;)
ほな「かん」って何なん?

ピーマさんへ

萬屋小兵衛の情報、有難うございます。
玉造に縁もゆかりも無い私たちが、彼を調べているというのは何だか不思議ですね。う~ん、これも崇徳院という落語のなせるわざなのでしょうか。(単に調べものが好きなんじゃ…^^;)

メールにも書きましたが、「よろかん」の「かん」は、萬屋小兵衛の号の「菅舎」から来ているのかなあと思っています。

 小兵衛の家業については、江戸後期の難波雀(仮称)に、「●●といえば萬屋小兵衛」という記述が見つかると良いのですね。大名屋敷に出入りしていた商人名は、ずらっと、難波雀に載ってます。これが江戸中期の浪花袖鑑だと載ってないんですね。う~ん、江戸後期の難波雀(仮称)には載ってたら良いのですが…。
 ネットに載っていることを頭から信じちゃいけませんと先生に言われたので(汗)、慎重になってます~^^; 玉造はお酒の産地だったというは、何となくそうかなあと思うのですが(辺鄙なので
)。
P.S 東成区図書館の職員さんが、猫間川についてネット上で書いている人が少なくとも二人居て、違う意見を書いている…てなことを言ってました。私には、何がどう違うのか読み込んでないので分かりませんが、そういうコトもあるんだなあってことで。
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