ライブ・おもしろ上方落語学

2012年7月28日(土) 中之島センター

中川 桂 「初代桂文治の功績」※講義
林家 染左 「牛ほめ」


初めて染左さんの噺を聴きました。^^
そして「兵庫船」の原話をゲットしました。

先生曰く、「崇徳院」の原話は無いと思う、
とのこと。Oh,残念。
でも文我さんのお家にはありそうな気がする。
そして米朝さんのお家には、米團治師の
崇徳院がきっとあると思います(ドリーム)。




この日は、
物すごく暑くて、
肥後橋の駅から中之島のビルまで、
灼熱砂漠を旅するような思いで歩きました。
日傘が無かったらきっと
恐ろしいことになっていたでしょう。


中之島のビルの中に入ると、
ほっとひと息。
会議室に入ると、もうそこそこ
受講者の方たちが集まっていました。
一番前の席に、見覚えのあるお二人が…。
「あれ? 紅雀さんが出ないのに 何で?」
と(笑)。
「いや、この人は崇徳院が好きなんですよ。
(その流れで文治の講義を受けに来たのでしょう)」
お一人は、米二さんの会で見たことがある、
染左さんのファンのSさん。
もう一人は、べにこごの会で見たことがあるMさんでした。
思わずお名前を尋ねてしまった私をお許しください。
Sさんは二度目のお尋ねでした(苦笑)。
 混み合ってきたので、同じテーブルに
座らせてもらいました。


中川先生は、HPの写真で見るより、
ずっと男前でした。
落語関係の人たちは(噺家も含めて)どうして
写真うつりが良くないのでしょうか…。
動いている方が良く見えるのかな。

中川先生の講義を受けていると、
大学生になった気分でした。^^

今回、初代桂文治をテーマに選んだのは、
六代目桂文枝の襲名が控えていたからだそうです。
文治は東京の名前になってしまいましたが、
上方では文治に告ぐ大名跡が「文枝」なので、
彼らの大元(おおもと)となった
桂派の生まれた時代を見つめよう…、
そういう流れだったように思います。


メモ
寛政期(1790年代)は、安永期(1770年代)に続く
落語の流行期。

寛政期にも流行があったんですね。
ずっと前、図書館で読んだのは「安永期の落語本」
(正タイトル失念)だったので、
それ以降の流行については、
漠然と幕末(全く年代を把握していない)
のイメージがありました。

初代文治の活躍は、本の副タイトルと違って、
安永より後の寛政期だったようです。


彼の活躍の背景には、
小噺創作(句会のような催し)と、
素人噺家による座敷噺の流行があったと。


★初代桂文治の功績

1、噺小屋(寄席)を始めたこと。
(坐摩神社境内だったそう)
室内なので、長いハナシが出来る。
シコミ→バラシの流れがOKになった。

 室内といっても、半分空が見えていたような、
天幕を張ったものだったようです。
ただ、お客さんはお金を払って入ってくるので、
出て行きにくくなりました。
それまでは大道でお客さんの足を止めて
ハナシを披露していたようです。
家に呼ばれて話す人も居たようですが…。

また室内ということで、
道具立てからくり、鳴り物入りの芝居噺が
やり易くなったようです。
これは屋外でも出来ないことはないと
思うのですが、落ち着いて出来るので、
技術はかなり発達したと思います。

鳴り物入りのほかに、
素噺、尽くし物(言葉遊び)ネタも。


2、門人の育成
それまでは、師匠の亭号を、
弟子が継ぐことは、あまり無かったそうです。
息子が二代目文治を名乗り、
「桂」派 が組織化されていきました。
・亭号や名前を継ぐこと
・持ちネタの継承
が、可能になった、と。

(ちなみに二代目文枝の妹が
江戸の噺家に嫁ぎ、彼女の夫が三代目文枝を
名乗って、江戸の桂派の祖となった)


門人の育成は、それまで
なされてなかったそうです。
江戸中期の
初代彦八、初代露の五郎兵衛は、
噺家として大成しましたが、
一派が生まれず、一代限りに
なってしまいました。


「桂派」が生まれた後、
林屋(家ではない)、笑福亭、立川
といった、流派が次々と生まれました。


時は流れ…
幕末から明治初年にかけて、
桂派の中の、初代 桂 文枝が活躍します。
彼の弟子は「四天王」と呼ばれ
(漫画みたい!)
上方落語の黄金期を迎えます。

初代文枝は、素噺が得意で、
落語「三十石」を質に入れたという逸話が
残っています。
先生いわく、どうも伝説っぽい。
本当にあったかどうか…ということですね。



講義は、歴史についてと、
落語の原話がたくさん載っている
初代文治が書いた、
『落噺 桂の花』
という本についても触れました。

『桂の花』に載っている、
落語の原話一覧が資料についていましたが、
知らない噺がけっこうありました。
「痰医者」「犬丸相撲」「武助芝居」
「法華長屋」「三人兄弟」「菜種切り」
「狐つき」「鉢山嬶」「釜盗人」

また『桂の花』に載っている
「おろかしきむすこ」(牛ほめ)
は、この本の中で一番長い噺だそうです。
初代文治の時代で、既に
現在の形に近いくらい出来上がっていた
ということで、
このネタがどれくらい古いのか、が
何となく分かりました。

今の「牛ほめ」ですと、
牛をほめに、池田市まで主人公が
出かけていますが、
『桂の花』だと、なんと、
“天王寺”のおじさんの家に出かけているそうです。
当時は、牛が飼われている郊外地だったんですね。

今でも烏ヶ辻とか、
郊外を思わせる住所が残っています。
(ちなみに、阿倍野は新墓>片袖より)


また、「兵庫船」は、
『桂の花』以前の本には載っていないので、
初代文治が作ったことになっています。
(ずいぶん長い文章なので、どこかに、
先行噺があるんじゃないかと思うのですが)


先生が、「兵庫船」を説明しながら、
読んでくれました。^^
(読んでくれた兵庫船の原話は、
別の記事で、字面をいじりつつ転写しています)

落ちを読むと、受講者の笑い声が…。
今の大学生は、笑ってくれないと、
先生。^^;
かまぼこが、サメのすり身で出来ている、
なんて、家でも学校でも教えてくれませんからね…。
私の家でも、サメじゃなくて「魚のすり身」と
教わりました。
落語で常識を身につけるようなものです。




上のレポを読んでいると、
どこからどこまで先生が言ったことなのか、
私の意見との境い目が分かりづらくなっています。
~だったそうです、
と伝聞で終わっている分は先生が言ったことで、
~と思います、~です、
などは、私の意見であることが多いです。
必ずしもそうではないですが、
ご注意ください。



中川先生の講義が終わり、
先生の弟・林家染左さんが登場。
初めて見ましたが、
写真で見るより、やっぱり男前です。

途中で切ることが多い「牛ほめ」の
フルバージョンを。

林家一門の「牛ほめ」は、
ずっと前、染語楼さんの息子・市楼さんの
ものを、岡町落語ランドで聞きました。
改めて聴くと、
笑福亭喬介さんの「牛ほめ」と
テキストが近いように思えて、不思議でした。
どこかで繋がっているのかな?

 冒頭の、
「金のためなら親でも殺す」
という、くすぐりで一本取られました。
こうやって、字にすると、けっこう
キツイ表現ですが、
実際聞くと、本当に可笑しかったです。
 主人公が、ご隠居の言う言葉を
メモする仕草が少なく感じました。
多分、米朝一門の方が、
メモする仕草や時間が長いように思います。
余り長い間メモすると、
お客さんもダレてしまうので、
仕草を端折るのも、工夫の一つでしょう。
(個人的には、メモしている手ぬぐいを
ずらしてまで、逐一書いて欲しいのですが、
そこまでしている噺家は見たことがありません)


染左さんや喬介さんは、
墨を作るのに、痰(唾?)を吐きますが、
米朝一門では、余り見ないくすぐりです。


また染左さんは、
「紙と硯(すずり)」ではなく、
「紙と筆」と言ったような気がします。


主人公のことを、おじさんは、
古い上方弁で「兄(あに)」と呼びかけます。
甥っ子に対して言うので、
今、耳にするとちょっと違和感がありますが、
染左さんは、なるべく言う回数を少なくして、
お客さんに違和感を感じさせないように配慮している
ように思いました。

実は、喬介さんは、頻繁に
「兄」と言っていたので、
ちょっと気になっていた言葉では
あったんです。

米朝一門では、余り耳にしないような、
そんな言葉のイメージがあります。


 おじさんの娘が泣くというくだりは、
あまり好きではありません。でも、
その理由がやっと分かりました。
「女の子の顔を笑いにする」というくすぐりそのものが、
好きではなかったのですが、
それをフォローする(彼女のその後が分かる)言葉は、
牛まで褒めないと出てこないのです。
 主人公が家を褒めて終わる「普請ほめ」だと、
彼女を泣かせたままで、噺が終了してしまいます。
家を褒めた後、牛も褒めよう、という「牛ほめ」
になると、おじさんが
「やめてくれ、以前、娘を泣かしたやろ。
あれから、お前を嫌って逃げとる」
主人公は弁解と謝罪の言葉を口にします。
「あれは、間違ったんや、かんにんして」
これで、娘さんの汚名?は晴れる訳です。
まあ、主人公が「ほんまのことや」、
おじさん「それがいかん」、というやり取りが
挟むこともありますが、少なくとも、
主人公が悪いことをしたと、思ってくれるだけで、
私は救われた気持ちになります。
やっぱり主人公は、応援したい気持ちが持てる人で
あって欲しいですから…。

他に気づいたことは、
「庭」を「前裁(ぜんさい)」と言ったことです。
中々、古い言い回しですね。

また米朝一門に多い「石の燈籠」は、
「棗形(なつめがた)の手水(ちょうず)鉢」
と、染左さんは言っていました。
※雀松さんは米朝一門ですが、棗形の手水鉢と
言ってます。

「乞食の子ぉも三年たったら、三つでおます」
という台詞は、
「犬の子ぉも…」
という言葉になってました。
ここは現代風にカバーしてますね。

ちなみに、染左さんは、
「師匠に習ったとおり」に演じたそうです。

アホさは少し控え気味だったかな。
(紅雀さんと比べて)
墨がにじんで…という所は、
汗でにじんで…と言いませんでした。
(細かい)
あと、
「台本どおりや!」という
台詞も無かったです。
このくすぐりは好きなんですが、
そんなに昔からあるくすぐりでは
無いようですね。
(一体誰が入れたのか…)


サゲは、
「屁(火)よけ魔よけになります」
まで。
中川先生いわく、
こちらの方が丁寧なサゲだとか。
昔は「ここにも秋葉さんのお札、
貼っときなはれ」で、
終わっていたようで…?(うろ覚え)。
でも、米朝一門は、
全員かどうか分かりませんが、
「ここにも秋葉さんのお札~」で、
終わる人が多いように思います。

「牛ほめ」の中味をやや、
現代の言葉に置き換えていることが多い
米朝一門が、サゲだけは古いままで、
(痰のくすぐり削除、手水鉢→燈籠に変更、
前裁→庭に変更。但し「乞食の子」はそのまま)
アレンジ率が少ない他の一門が、
(痰のくすぐり温存、手水鉢や前裁、温存。
但し「乞食の子」は「犬の子」に変更)
丁寧なサゲをしています。

アレンジ率がサゲに関わって
くるのでしょうか。
アレンジしすぎると弊害がありそう
だからなのか、不思議です。



染左さんの高座は、
何かこう、知性を感じるものがありました。
今まで味わったことのない感覚です。

ちなみに「景清」は、
大名行列のフルバージョンまで
されるとか。

以前の講義では、「景清」が
テーマだったらしいのですが、
時間の関係か、
そこまで行かなかったそうです。


年に一回しかやらない講義だそうで、
本と、三ヶ月に一度くらいやってほしい
くらい面白かったです。


先生が東京の大学に引き抜かれたのが
痛かったですね。
関西圏の大学は一体、
何をしているのでしょうか…。


※2012年9月2日に感想を書き終えました


※※「牛ほめ」について追記

米朝一門が「牛ほめ」で、
「屁よけ魔よけになります」という、
丁寧なサゲをしない、
という私の個人的なイメージは、
どうやら、
米二さんが十八番にされている「牛ほめ」に
拠るところが多いようです。

『上方落語 十八番でございます』
という米二さんの本の中で、
「牛ほめ」が紹介されていますが、
サゲは「屁よけ魔よけになります」ではなく、
「この穴へも愛宕さんのお札を貼っときなはれ」
というサゲで終わっています。

興味深いのは、
米二さんが「牛ほめ」を教わったのは、
“雀松兄さん”だと本に書かれてあることです。
雀松さんは、枝雀さんに教わったとも。
そして、枝雀さんは桂文蝶にならったらしい、と。

米朝さんのお弟子さんである米二さんが、
「牛ほめ」を師匠以外に習うということは、
米朝さんの持ちネタの中に、
「牛ほめ」が無かったのではないかと
思います。

私の中の「米朝一門の牛ほめ」は、
枝雀さんが持ってきたネタだったんですね。

米朝さんはお弟子さんが多くいますので、
「屁よけ魔よけ」のサゲをする人も、
中にはいるかもしれません。


雀松さんの牛ほめは、
米朝一門では珍しい?
「棗形(なつめがた)の手水鉢(ちょうずばち)」
です。
 もしかして、枝雀さんも、
「棗形の手水鉢」だったのでは。
師匠から教わったネタの小道具を変えるというのは、
中々、勇気がいるような、難しいような気がします。
 そして、米二さんが、
「棗形の手水鉢」から「石の燈籠」に
変えたのかなあと、
勝手に想像しています。

枝雀さんのお弟子さんである、
文我さんも、紅雀さんも「石の燈籠」と、
言っています。

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中川先生は文太師と一緒に落語会をたまに開きますね。今年の正月、文太・中川先生・染左(中川先生の弟)というメンバーで、高津神社で聞いた事があります。池田のお寺の無料の会でも、このメンバーで聴きました。
先生はプロ並みの講座でしたよ。うふふ

お久しぶりにお会いできて楽しかったです。
こちらの講座は、中川先生の講義と染左さんの落語が聴けるので毎年楽しみにしてるんです。
また来年もあると思うので、ご興味のあるテーマだったら、また参加してくださいね!

もずさんへ
 その中川兄弟の会は、今年の年明けくらいにチラシを見ました。誰だろうと思っていましたが、中川先生だったんですね。プロ並みの高座、一度拝見したいものです。あ! メール、どうも有難うございました。

すがはらさんへ
 こちらこそ、本当にお久しぶりでした。何年ぶりかの再会のように思えました(笑)。お話できて、楽しかったです。
 この講座、一年に一回しかないなんて、何だかお宝を眠らしているようで勿体無いですね。一ヶ月に一回くらい開いて欲しいです。先生が東京在住という難がありますが…。^^;
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