うどんや(「キヨちゃん」と「親子酒」)

十代目馬生の「うどんや」を
語るつもりが、いつの間にか、
別の世界にトリップしていたので、
記事を分けました。

上方の「替り目」と、
江戸の「うどんや」に共通する
キヨちゃん(美ィ坊)エピソードと、
親子酒の部分についてのメモです。



東京の「替り目」には、
後半部分、
キヨちゃんが出てくるくだりがありません。
何故、無いのか、謎でした。
江戸っ子の性に合わなかったと思ってました。

それは、私の勘違いでした。

東京の「替り目」に、
後半がない理由、
それは、キヨちゃんが出て来るくだりと、
似通った噺が他にあったからです。
それは、「うどんや」でした。

「うどんや」は、
明治時代、三代目柳家小さんが、
上方の「風邪うどん」を移植したものです。
上方の「風邪うどん」には、
キヨちゃんは出てきません。
彼女が出てくるのは、「替り目」です。

つまり、
「風邪うどん」=「うどんや」
ではない、ということです。
噺の全体的な印象としては、
「風邪うどん」+「替り目」=「うどんや」

もう少し詳しく言うなら、
東京の「うどんや」は、
噺の骨子が「風邪うどん」で、
「替り目」のキヨちゃんエピソードを導入し、
「住吉駕籠」のくすぐりや、
演じ手によっては「親子酒」のうどん屋部分を
入れてきます。


明治時代の江戸の噺家さんは、
言葉を江戸から上方に変えるだけの移植ではなく、
江戸噺にないような面白い噺を作るため、
色々な趣向をこらしたのだと思われます。
個人の創作も時には入れたでしょう。


ところで、
上方の「替り目」の、
キヨちゃんのエピソードは、
本当に、
上方から東京に
移植されたものなんでしょうか?
考え方によっては、
逆もありえるんじゃないかと。
つまり、
「花嫁姿で血縁関係のないおじさんを泣かす」
娘のくだりは、東京で生まれて、
上方に移植されたのではと。


上方の「替り目」に出てくるキヨちゃんは、
噺の後半で、前半で噺を切られると、
出てきません。彼女がいてもいなくても、
上方の「替り目」は完結できる噺です。
 つまり、替り目の核は、前半で、
後半のキヨちゃんの話は、
あとから付け加えたのではないかと。

一方、
東京の「うどんや」は、
キヨちゃんに相当する娘(美ィ坊)は、
噺の前半に登場し、
彼女無しでは、
噺を終えることは出来ません。



上方のキヨちゃんと、
東京の美ィ坊の、設定の違い


上方のキヨちゃん
・「替り目」の後半に出てくる娘
・母親を早くに亡くし、
父親に育てられた。
・父親と酔っ払い客は、友人で、
身内が少ないので婚礼に出て欲しいと、
頼まれる。
・泣くのは、主に父親
・酔っ払い客は、娘を育てる手伝いを
していない
・お嫁に行く



東京の美ィ坊
(演じ手によって設定が異なる)


五代目柳家小さん、小三治さんの
「うどん屋」の音源を聞きました。
お家芸と言われているネタです。
・美ィ坊の母親は健在
・美ィ坊の父親より、酔っ払い客は年上で、
隣に住んでいて、よく面倒を見ていた。
・酔っ払い客とその妻が婚礼に出席
・花嫁衣裳の描写が細かい
・桜湯が出てくる
・泣くのは主に酔っ払い客
・婿が養子にくる

 蛇足ですが、小さん、小三治さんの
「うどん屋」の酔っ払い客は、
うどんを食べません。


八代目三遊亭可楽の、
美ィ坊エピソード。
・基本的には、小さん設定と同じです。
美ィ坊の母親は、生きてます。
・客の年齢は、美ィ坊の父親と、
同年代か、若干上に感じます。
・客は美ィ坊の父親と同業者。
・身内が少ないので、婚礼の席に
来て欲しいと父親から頼まれた。

客は、隣のおじさんから、
父親の同業者のおじさんになり、
年齢が下がった印象。
しかし、母親が生きていますし、
面倒を見ていたというくだりが欠けて、
花嫁姿を見て泣く、という心情が、
分かりづらくなっているかもしれません。

ちなみに、可楽の酔っ払い客も、
うどんを食べません。


十代目馬生の
美ィ坊エピソード。
・娘さんとだけで、名前が無い。
・母親を早く亡くしている
・男手で育てる友人を見かねて、
皆で娘を育てる世話をした。
・客は、娘の父親と同年代っぽい
・婿が養子に来る

馬生の酔っ払い客は、
うどんを食べます。(ここ重要)

彼の美ィ坊だけ、
他の東京の噺家さんと大分違います。
テキストそのものが、別系統を思わせます。
上方の「替り目」のキヨちゃんに近い。
しかし、
仲間で、友人の娘を育てる
という所は上方にありません。
ここはファンタジーっぽく感じる所です。
(実際には到底ありえないことだが、
あったらいいのになという話)

馬生の美ィ坊エピソードを、
削いだものが、
上方の「替り目」のキヨちゃん話
ではないかと思うんです。


馬生は、落語の筋を創作するタイプではないと
私は思っています。
戦後、誰からか「うどんや」を習ったのでしょう。
昭和三年生まれの彼よりも年上の落語家の中に、
キヨちゃんによく似た話の「うどんや」を演じる人が
いたのではないかと。
それは、柳家小さんが得意とする「うどんや」と
違ったテキストです。
本家から見れば亜流でしょう。

元々、「うどんや」の美ィ坊の出てくる場面は、
五代目小さんが語るほど詳細でなかったように思います。
八代目可楽の「うどんや」の美ィ坊は、
ごくシンプルに語られるためです。
色んな美ィ坊が東京に存在していて、
もっとも原型から遠くなったのが、
馬生の美ィ坊テキストだと思います。


では、馬生の「うどんや」は、
誰に稽古を付けてもらったものなのか。
ヒントは、
他の東京の噺家がしない、
「酔っ払い客がうどんを食べる描写」
…上方の「親子酒」のうどん屋の場面、
唐辛子のくすぐりをすることです。

これは、
大正3年の二代目柳家つばめの速記に
登場するもので、
以下抜粋
『酔っ払いがいったん食わずに
行きかけるのを思い直して
うどんを注文したあと、
さんざんイチャモンを付けたあげく、
七味唐辛子を全部ぶちまけてしまいます。』
千字寄席より)


つまり、
二代目柳家つばめではないかと…。

(ってことは、
上方の「親子酒」の唐辛子部分も、
東京から来たってこと?)



・・・
キヨちゃんが生まれるまで
(想像)

三代目柳家小さんが、
上方の「風邪うどん」を移植し、
色んな噺をまぜて「うどん屋」を
作った。
キヨちゃんに相当する娘、美ィ坊は、
どこからか持ってきたか、
小さんの創作。

「うどん屋」の演じ手が
増えるにしたがって、
美ィ坊の色んなバージョンの
エピソードが生まれる

二代目柳家つばめ、
いっそう手を加える
↓   ↓
↓ 十代目馬生に稽古(想像)

米朝さんが、
上方の「替り目」の後半エピソード
として、馬生系の美ィ坊の話を
アレンジして入れ込む(想像)。
「おっちゃん、ぼうち」
の台詞を追加

米朝門下の米二さんが、
名前の無かった「替り目」の娘を
キヨちゃんと名づける。

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おっちゃん、ぼうち

もうご覧になったかもしれませんが、http://rakugokamigata.no-mania.com/Category/2/2/
に書いてあったことの抜き書きです。米二さんの原稿です。
『後半、うどん屋相手に左官の又兵衛の娘の話を聞かせます。「おっちゃん、ボウチ」があって、嫁入りの挨拶の場面、
 「又兵衛、ボロボロと泣きよった」
 私はうちの師匠のこの噺を舞台袖で聴いていて、又兵衛とおんなじように何度泣いたかしれません。実にいい話です。
 今から数年前のことです。米朝家でお酒をいただいておりました。そのとき一緒に飲んでいたのは、うちの師匠と私と当時、小米朝だった米團治君の3人。飲みながらももちろん芸談です。真面目でしょ?
 話題はいつしか「かわり目」になっていました。
 「師匠、後半の『おっちゃん、ボウチ』はいいですね」
 小米朝君も「そうそう」とうなずいています。
しばらく間があってうちの師匠が言いました。
 「うむ……。あそこは、わしがつくったんや」
知りませんでした。てっきり昔からあるんや、と思ってました。私はうちの師匠の創作の場面で泣かされてたのですね。
小米朝君も知りませんでした。うちの師匠はなぜか、こういう自慢話をしないことがあるのです。』
ちなみに、私はこの場面が苦手です。まあ、普段からの私の言動を聞いておられれば納得していただけると思いますが、これは明らかに「泣かしに掛ってる」と身構えてしまうのです。素直じゃないので。
私も年頃の娘が二人居ますが、彼女らの結婚式でもきっと泣かないと思います。むしろ他人の結婚式なのにわあわあ泣いてる人(例えばそうばくんの結婚式の塩鯛・米紫師弟のような人)を見て、なんでやねん!と突っ込みつつ、ゲラゲラ笑ってるでしょう。

ピーマさんへ

米二さんのこの文章は、エッセイ本にも収録されているものですね。本を購入した身としては知っているつもりでしたが、こうやって読み直すと…
「師匠、後半の『おっちゃん、ボウチ』はいいですね」(間)「うむ……。あそこは、わしがつくったんや」
台詞を作ったのか場面を作ったのか、はっきりと分かりません。(たぶん、両方なんだと思うのですが^^; 設定は同じでもテキストは大分違いますし)。崇徳院もそうですが、戦争直後は、東京の方がテキスト上、近代的に先行していて、その影響を米朝さんは受けているのではないかなあと(滅びかけた上方噺を復興させるのにあたって)。
 この「おっちゃんぼうち」の場面は、私も南天さんのものを聞くまで苦手でした。テキストだけ読むとどうしても「客を泣かせたいのか」と思ってしまいますね。演者さんによるのかもしれませんが、割とあっさりと聴けるものなんだなあと思いました。 「泣かせよう」という気持ちじゃなくて、噺の世界を作ろうという気持ちが勝るとそうなるのかもしれませんね。主人公は、うどん屋を「泣かせよう」と思って話している訳ではありません。良いことがあったんだ、聞いて欲しいという気持ちが高じて、娘の幼い口癖を思い出したのでしょう。この場面は「泣かしにかかってる」と客に思われると気持ちが引いてしまうので、そうお客さんに悟られると一巻の終わりです。演者はクールに噺を語った方がいいと思います。その方が却って想像力をたくましくさせるので、効果的だと思います。
 娘さんの結婚式、泣かない宣言をしたピーマさん。しっかりと覚えておきますよ。フフフ…
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