春分の日

2012年3月20日(火・祝)14時~
ワッハ上方・上方亭ライブ番外編
林家そめすけ
大阪人情落語24区

「通天閣に灯がともる」(浪速区)
「めがね橋」(大正区)

めがね橋、めっちゃ良かったです(ToT)


同日16時半~
箕面・めいぷるごにんばやしの会
吉弥「道具屋」、紅雀「七度狐」、ひろば「厩火事」、中入り、
米紫「宗論」、まん我「どうらんの幸助」

3月20日は私の中で
米紫さん面白かった記念日になりました。



ちょっと偏頭痛ぎみなので、
感想は後回しに…(^^;)
そう言いつつ未だに書いてない会もあるので、
あまりアテにしないで下さい。
(ごめんなさい)


※追記

この日は、もずさんとの待ち合わせに
大遅刻する夢を見ました。
気をつけなアカンなあと思っていたら、
本当に遅刻しました。(ごめんなさい!)
紅雀さんの様に二時間前から現地入りしていた方が
いいのかもしれません…。

お昼は、なんばの無印のごはん屋さんで。
(無印のHPは定食の写真が無かったので、
人様のブログへ勝手にリンクしています)

もずさんとアレコレ落語の話を(^^)。
文太さんの幾代餅の話が聞けて良かったです。
私が思っている以上に、色んな会に
足を運ばれている人なんだなあとしみじみ。
(たまさんのファンでもある人なので)


そめすけさんの上方亭の会。
カメラが三台ほど会場に設(しつら)えてあって、
緊張しました。後方の席の人は移動OKだった
みたいですけど、前の席は落語中の移動は禁止(普通やん)。
「通天閣に灯がともる」は、
隣のブースの音がうるさくて、集中できず(-o-;)。
なかのしま落語会の方が、たっぷり感があって
良かったなあ。
こんな短い噺やったんや! って驚きました。
場面転換が多いんですね。スピーディーな展開。
それをたっぷり聴かすっていうのは、大変なことなんだなあと
思いました。(会場の雰囲気も影響するんでしょうね)
 この前の感想で、
登場人物を勘違いしてしまった場面があったと
書きました。
三人も人が出てくると、勘違いが起こりやすくなります。
 主役の若い子がおじさんと喧嘩しそうになる場面。
そこへ割って入ってきた人は主役の上司です。
「トメさん、なんで…(以下台詞失念)」
この台詞、主役の子が、上司に対して、
何で止めるねん、って言っているように聞こえるんですね。
だから、上司の名前がトメさんだと。
 実際は違います。
トメさんは喧嘩相手のおじさん。
「トメさん、なんで…」という台詞は、
上司の台詞だったんです。
この時点で聞き手は、上司とトメさんが
旧知の間柄とは知りません。
だから、まさか部下の喧嘩相手の名前を
知ってるなんて思いもよりませんから、
そういう勘違いが起こってしまったんでしょう。
 これは声の演じ分けの問題ではなく、
(主人公は若く、上司も三~四十に見える為)
設定に対する配慮をもう半歩欲しい所です。
踏み込みすぎると噺の世界が壊れかねないので。
私はそめすけさんの描く噺の世界が好きなんです。
どうしたらいいんでしょうね。
「トメさん、なんで…」
の前に、部下を叱る台詞が入っていたように
思うのですが、名前入りで、しっかり叱った方が
いいのかもしれません。若い子を制するような…。

・サカタ(主人公・若い職人)
・ツジイさん(サカタの面倒を見ている上司)
・トメさん(工事の邪魔をするおじさん)

あと、ツジイさんが病室にいて、びっくりしました。
先に入ってたんや!
色々書いてしまいましたが、引っかかったところの
説明が長くなっただけで、他はまるっと好きな噺です。
どれぐらい感動したのかは以前の感想をお読み下さい。
トメさんが、三億ってゼロがなんぼある?
って聞く台詞、めっちゃ好きです。
そこは、なかのしまの会よりも面白く感じました。
(くすぐりがバージョンアップしたのかな?)


一席終わってから、間を持たせたいので、と
そめすけさん、客席で生着替えを披露。
長襦袢って意外と下着っぽくないですね。
この長襦袢、最近亡くなった漫才師?の方の
形見だと仰ってました。
着物を着替えるのは、十五分もかかりませんでした。
あっという間に着替え終了。
帯の結ぶ手つきは魔法の様でした。


二席目は、うろ覚えですが、
白地に将棋の駒が大きく描かれた模様の
着物だったように思います。羽織は黒だったかな。
派手な将棋模様に気を取られて、
噺に集中できるかなあと思いましたが杞憂でした。
「めがね橋」は、
すごく面白くて、着物の模様なんて、
すぐに忘れてしまいました。
居酒屋で酔っているおじさんが出てきた時は、
通天閣~のトメさんに設定が似ているかもと
思ったのですが、奥さんに逃げられたという話題から、
(暗い設定なのに、逆に笑いを取れる不思議さ!)
回想シーンへ。
口数の減らない男の子が出てきて、
めがね橋のところでおじさんと会話をします。
そのやり取りも面白かったですが、
一番いいなあと思ったのは、
橋の上から川を行き交いする船を眺める仕草。
けっこう高い所から見ているんですね。
私は、めがね橋に行ったことがないので、
はじめは驚きましたが、
家族を探す視線にぐっと来ました。
 そめすけさんの人情噺は、
笑いが多く、人情噺と構える必要がないように
思います。人情噺は苦手だなあという思いを
持っている方に是非おすすめしたい。
 8月1日に繁昌亭で大阪24区の人情噺の会が
あるそうです。今度こそ日にちを間違えませんように!
24区、全部聴きたいです。
 最後の最後に余計な付け足し文を。
めがね橋の終盤、居酒屋のおじさんが、
聞き手がびっくりするような事を言うのですが、
それを言うと、噺の世界が限定されたものに
なってしまうような気がするんです。
普遍性が減るというか…。オチに向かうために
どうしても必要な設定なのかもしれません。
私はなだらかに噺が終わってくれるほうが好きなのですが、
これって、極端に言えば、
崇徳院のサゲは無い方が好きだ! って
言っている人と同じですね。
(私は崇徳院に関してはサゲ有り支持派なんですが)
丸くなだらかに噺を終わらして欲しい人の気持ち、
ちょっとだけ分かった気がします。



ワッハ上方のタダ券をくれたもずさんに
感謝しつつ、箕面へ向かいました。
(落語が終わった後、資料館をぶらっとして、
その時に、もずさんが、春之輔さんが、
「もう半分」で“アテは雁之助”っていう
くすぐりを言ってたけど、壱之輔さんは
どうだった? と尋ねました。
多分言って無いと思います。泉州茄子は言ったけど)
※追記の追記
春之輔さんが言っていたくすぐりは、
もう半分のマクラの部分だったみたいです。


箕面はぶっちゃけ早く着きすぎました…。
14時からそめすけさんの会があって、
15時前に終了。着いたのは16時台。
晩ご飯を食べるには早すぎます。
で、駅前の足湯に150円でまったりしました。
綺麗好きの人はダメなんだろうなあと
思いつつ、30分ほどでポカポカに。額に汗が。


晩ご飯は、17時前までランチメニューを
出しててくれている、ベジタリアンのお店へ。
名前は…サルンポワク(舌を噛みそう)。
にこさんとお友達の方が居て、びっくり!
私はビビンバを頼みましたが、
以前食べた根菜カレーの方が美味しかったかな。
一番感動したことは、
リスとお月さま
という、ドイツ人作家の絵本!!
テーブルの側面に引き出しが付いてあって、
その中に入っていた絵本が
めっちゃおもしろかったです。
リスの「牢屋」の妄想が…!
日本人が好きそうな漫画っぽい絵本でした。
絵で笑わせるっていう所がミソ。
オチも最高でした…


めいぷるホールへは、開場前に着きました。
長蛇の列が出来ていてびっくり。
にこさん曰く、列が出来るのはそんなに
珍しいことではない、とか。
思えば、開場前に着いたのは初めてかも。
受付に珍しく(?)まん我さんのお姿が。
さぞ緊張されるだろうなあと思っていたら、
にこさんは、予想していたことだからと、クールな
お返事。羨ましい…(私は透明人間になりたい)


トップバッターは、吉弥さんの「道具屋」。
いつもよりやや声が小さいかなあと思いましたが、
(何せメイプルには滅多に来ないもので…)
get's 待っツの生声に慣れていた所為かも。
思えば贅沢な経験でした。
噺の筋は、テキストを短く刈り込みながらも、
オーソドックスな運びでした(たぶん)。
あそこまで短い台詞にして、ちゃんと噺が成立
するところが凄いです。仕草で全て補っているという。
聴いていると、同年代の紅雀さんが
如何に噺をいじっているのかが、よく分かる内容でした。
・電気スタンドを買うのは若い男の学生
紅雀さんは若い女性(主婦)です。
ここで女性を出さないと、全て男の客になるので、
そういう工夫を入れたのかなあと思うのですが、
学生が電気スタンドを買うという発想も面白いなあと
思いました。
・粟穂にウズラ、谷文晁(たに ぶんちょう)
掛け軸に描かれていた図柄と作者名です。
紅雀さんは図柄を言わず、東山魁夷(ひがしやまかいい)
作者名は勘違いしているかもしれません。
谷文晁と言わず近代の日本画家を言っています。
粟穂にウズラで谷文晁はありえない…
という昔の人の知識もそれとなく詰まっている台詞の
ように思います。
・小刀の鞘を抜く場面は、
ぎっこんばったんせず、ぐぐ~と力を込めるやり方。
ひろばさんも多分このやり方で、ぎっこんばったん派は
一門によって分かれているのでしょうか?
・サゲは「手元を見ております」
これは一緒ですね(^^)
紅雀さんは「三千万」を請求しますが、
吉弥さんは「二万円」(うろ覚え)。比較的昔の時代設定でした。


お次は、紅雀さんの「七度狐」。
私は、この噺とつくづく縁が無いと思いました。
今まで何度か聴いてきましたが、いいな! と
思ったのは独演会の時だけです。
ピーマさんも、私の後ろに座っていた女性も、
紅雀さんの「七度狐」を褒めていた(ように思う)のに、
何ででしょうね。
いいな! って思うアンテナが根元から折れている
ように思います。
取り合えず、発見した事柄を。
・噺の形としては去年の12月の千朝さんの会で出した
ものと同じで、大井川の川渡りで喜六が悪ノリする
(竹の棒を左右ぐいちに動かしたりする)くすぐりが無い。
これは時間が限られていたため省いたのだと思います。
元々プラスアルファのくすぐりだったので無くても
噺は通るのですが、それを差し引いても、
川を渡る時間が短いように感じるんですね。
・めっちゃ細かいけど、冒頭、
同じ台詞のツッコミが三回続けて出てきたので、
六代目松鶴と同じ小言を言わせてほしい。
・おばあさんの棺桶がミシミシという場面は
前よりもホラーっぽくなっていた。以前は擬音のみで、
今回は棺桶のフタが動く表現の手の仕草がついていた
・「幾何重ともしれぬ高い山(深い谷)」という台詞が
無くなって、深い森へと…という台詞になっていた。
(これも時間の関係で短くしたのかもしれない)
・「藁みたいなもんやございません、藁でおます、やて。
ふん、笑わしよんな」
めっちゃ早口で言った台詞。ここは面白かったです。
・DVDでは省いたくすぐりが復活していた。
「藁食って、土食って、次にコテ食べたら、
腹の中で塀が出来るんとちゃうか」
このくすぐりは好きなのでこのまま残しておいて欲しい。
・去年の12月でそういう風になっていたかもしれないが、
冒頭、喜六が石を投げる擬音が「ポイ、ポイ」と
二回になっていた。前はもっと数が多かったような
気がする、兎に角、
道中にそんなに石が落ちているのかと違和感があった。
二回ならまだ自然に感じれるので、この発見は、
煮売屋からやって欲しい身としてはかなり嬉しい。


お次は、ひろばさんの「厩火事」。
道具屋~七度狐まで睡魔と戦っていましたが、
目が覚めたのは厩火事の途中からです。
この噺は、去年12月のget's 待っツで聴いており、
その時は「亭主がちょっと恐いかなあ」という
感想でした。今年の3月13日に、GUNLUKさんが、
べた褒めされていたので、私の知らぬ間に進歩されたの
だなあと。それでも、この目で見るまで信じられないのが、
私の性分です。(GUNLUKさんと好みも違うし)
 ぼやっとした頭で始めは聴いていましたが、
なるほど、ネタおろしの時よりはこなれた印象、と、
徐々に噺に食いついてきました。どこがどういう風に、
とは説明できませんが、聴いていて間合いが気持ちいいなあと。
困ってはいても天然ボケな髪結いの女性の言葉にも、
磨きがかかっているように思いましたし、
何よりも、髪結いの亭主が恐いと思わなくなったのが、
個人的には嬉しいことでした。声の調子は鋭いけれども、
内側に柔かさがあるように思えて、この後、きっと、
クッションが来るって思えたんですね。
髪結いの女性が「好きっ」っていう台詞、くすぐりだと
思うのですが、ちょっと共感してしまいました(笑)。
この間聴いた時は、この夫婦、夜にDVが行われているのでは、
と、変な心配をしてしまったのですが(^^;)、
今回は、何だかんだいって、上手くいきそうな夫婦だなあと。
そういう風に前向きな気持ちになれたっていうのは、
すごい進歩だなあと思います。
 兄貴分の表情なんですが、への字の口の顔つきが多かったので、
もう少し色んな表情が見れたらなあと思います。一番困っている人
というのは、確かなんですが…。


中入り後は、米紫さんの「宗論」。
うろ覚えなんですが、去年の秋か冬に、
独演会で出されたネタだったように思います。
今から思えば、得意ネタに相当する噺だったんですね。
マクラで、山崎まさよしの歌の替え歌から、
ぶッと吹き出してしまい、そこからは、もう
米紫さんの手の上でした。
ストーリーに起承転結が無いように思えて、
内容をちゃんと覚えていないのですが、
仏壇屋の跡取り息子がクリスチャンに改宗してしまい、
ずっと父親ともめている噺でした。
キリスト教そのものにかぶれたのなら、カタカナ言葉には
ならないように思うのですが、
牧師(神父?)さんの言葉から染まっているのか、
ずっとカタカナ言葉の息子が面白かったです。
私は、外国人がカタカナ言葉の日本語を話して、
そのアクセントのおかしさで笑う、というくすぐりは
あまり好きではありません。でも、この「宗論」の息子は、
ここまでかぶれてしまったんだ、というキャラの
味付けの一つとしてそういう設定になっているので、
(アクセントのおかしさで笑うという次元から、
一歩踏み外れてような気がします)
自分でも驚くくらい笑ってしまいました。
 神様か魂を意味する言葉なのか、
ちゃんと聞き取れなかったのですが、
息子が「パッ・・・(以下失念)」と、間合いをためて、
大事なものの言葉を表現するところは、
本当に可笑しかったです。何回か出てきたけど、
何だか必殺技のように思えました。
あと、父親が神様の名前か何かを聞き間違えて、
息子に指摘された時に、「“や”も“へ”も一緒や!」
と言ってしまい、息子に揚げ足を取られるくだりも
面白かったです。「桂吉弥は桂吉へになるんですか?」
その後に出てきた「ジーザス・クライスト」と、
息子が呟いた言葉に、父親が聞き間違いするところも
とどめをさされた感じがしました。
 サゲは二種類? あるようですが、
今回の「時の氏神」もいいんじゃないかなあと思います。
丸く治まった感じが出ていて。
言葉に窮した番頭さんが神様に祈りを捧げる仕草、
今思い出して笑いそうになりました。
米紫さん、この日が誕生日だったそうですが、
良い一日を過ごされたんじゃないかなって思います。


トリは、まん我さんの「どうらんの幸助」。
モタレの米紫さんがたっぷり話したこともあってか、
マクラもそこそこに。そういえば、トリの噺家さんは、
長いマクラを話すことが少ない気がします。
「どうらんの幸助」は、こごろうさんと雀三郎さんで
聴いていましたので、まん我さんはどうなんだろうって
いう思いがありました。聴いてびっくりしたのは、
こごろうさんと雀三郎さんは型が同じなのに、
同じ枝雀一門のまん我さんはまた別の型を話していた事です。
師匠である文我さんから教わったのでしょうか?
肥溜めのくだりがないんですね。
代わりに「川に突き落としておしっこをかける」と
なっていました。肥溜めのくだりは繰り返し部分で、
割と長い妄想になります。そこが無いので、
全体的に、すっきりとした噺にまとまっているように
思いました。これはこれでアリだなあと思えたのは、
まん我さんがバチっと噺を決めてくれたからだと思います。
「どうらん(胴乱)」の説明も、
噺のハザマに入ってきて、こごろうさんや雀三郎さんの
時とは違うように思いました。(お二人は説明があったかな?)
あと、浄瑠璃を語る部分! これもお二人とは微妙に
音程が違っていて(特に語る冒頭部分はかなり違う)、
面白いなあと思いました。落語の中の浄瑠璃じゃなくて、
かなり本格的な浄瑠璃を感じました。それは、
おっしょさんが、歌の合い間にハリセンで机を叩いたので、
お稽古の浄瑠璃らしさもちゃんと出されていましたが。
 雀三郎さんは、御伽話のような民話のような土埃を
感じるような内容で、こごろうさんはちょっと生々しい感じ?
おできがつぶれた瞬間とか血が沢山見えてきそうなくらい。
まん我さんは、そんなに血は沢山見えてこなかったです。
ああ、つぶれちゃったんだなっていう。そこにスポットを
強く当てないで、噺を進めます。落語の好みって人それぞれだと
思うのですが、一番落語としてのバランスの良さを感じるのは、
まん我さんかなあと思います。
 喧嘩のふりをした二人が、幸助に連れられて酒屋さんに
行く場面は、仲が良い二人に幸助がツッコムのですが、
そこは、こごろうさんと同じ感じで面白かったです。
 あと、語尾に~おす、と付ける京都の女性に対して、
幸助が「たまには引いてや」と小声で呟いて、
そこがめっちゃツボでした。
声を出して笑った人は少なそうでしたが、こういうの好きです。
 噺の終盤、「ついに泥を吐いたな~」と幸助が言って、
その台詞も凄く可笑しくて、最後までお客さんの心を離さない人
なんだなあって思いました。
まん我さんの凄いところは、限られたテキストの中で、
可笑しさを十二分に発揮できるところだと思います。
付け足して長くしたりせずに、噺の良さを引き出せる人だなあと
改めて思いました。
 噺が進むにつれて幸助の声が若干低くなったように
感じたのは、私だけでしょうか(?_?)



落語の後は、年度末に行われる抽選会?です。
ポイントを沢山集めた人から豪華商品がもらえるという。
これって、景品がもらえた人から帰っていくので、
抽選会が進むにつれてどんどん寂しくなっていくんですね。
私服姿の噺家さんを見れるので、
ファンとしては嬉しいものなんですが、
ポイントも沢山集まってないし、落語をたまたま見に来た人
にとっては、興味をそそられないものなんでしょう。
 景品は、たくさん用意されていて、
ポイントが二つしかたまっていない私でも、
最後にしょうが飴をもらえました(^^)v。
気長に待ってみるものです。


これは私の母が言っていたことなんですが、
ポイントを集めた人は、帰りの受付で
景品をもらえるようにして、
抽選会は、また別に行うというのはどうでしょう。
アンケートに抽選番号をふっておいて…。
そしたら、お客さんも最後まで残ってくれる人が
多いんじゃないかなあと思います。
…こうなると、景品が倍増して、予算も沢山かかる
ことになりそうですね(^^;)。
めいぷるの会も、田辺寄席in寺西家のように、
商店街の協力が得られたらいいのになあと思います。

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宗論

こんばんは。期待せずに待っていたら、ついに書きましたね。また長いのを(^◇^)
「米紫さん面白かった記念日」の中身が気になってたんですけど、私もこの日のトピックは「宗論」でした。
このネタは、最近あちこちの会で良く掛けてますけど、去年11月の独演会が初演だったんですよ。その時も十分に面白かったんですけど、今回は磨きがかかってましたね。「ぱっ」っていうのはもしかして「イッィエッス!キリスト」のところでしょうか?
この噺は歌之助さんもよくやるので、2人の違いを楽しんでいます。
サゲが二つというのは、私のツイートを見てくれたんでしょうか?問い詰められた番頭が「黙れ異教徒!わが親愛なるアラーの神よ!」っていうやつです。初めて聴いた時にゾクッとしたお気に入りのサゲです。
どうも、私は、「旨い!」ていう感じのきれいな終わり方がが生理的にダメなんですね。きれいに決まりすぎると「それで終わりかい!」と置き去りにされた感があるわけです。
米紫さんは、自らを「ひねくれ者」「悪者」と言う割には、非常に常識的で美しいものにあこがれがあるように思えます。
それ故に、彼の落語はとても好きなのに、サゲのとこで「なんで?」とこけてしまうことがあるんですね。
ちなみに、以前からこだわっていた「景清」ですが、神戸の文我さんの会で「最後まで」聴けました。京都の会で書いた私の感想を、奥さんが伝えてくれたそうです。中入りの時奥さんに「今日は最後までやらしてもらいました。」と言われた時はびっくりしました。まあ、元々今回はネタ出しをしている会なので、最後までやろうと思っていたらしいのですが。
ところが、やっぱり「サゲ」です。まず、大名行列に定次郎が暴れこむ経緯が私の記憶と違っていました。本来ならば、大名行列の「ひかえーひかえー」を聞いて、「なにをこしゃくな」「やらぬ!」と立ちはだかるはずなんです。この時点で既に景清の人格になってるんですね。ところが今回は、目の不自由な女の子が大名行列を横切って、「手打ちにいたす」という侍の言いように腹をすえかねて「やらぬ!」と出て行くんです。出ていく理由をわざわざ付け足した感じなのですが、源氏の猛者であった景清であれば「ひかえー」と言われるだけで「こしゃくな」と立ちはだかっても、何の不思議もないと思うのですが、なぜこんな説明的な場面を挿入したのか分かりません。
そして「サゲ」です。大立ち回りの末、殿が駕籠の戸をあけて「そちゃ気でも違うたか」「いや、目が違た」が本来のサゲなのですが、今回は殿が駕籠から出てきて、「お前のような町人が景清の目を借り受けるというようなことがあるのか」と定次郎に問います。「それもそのはず、大阪一の目貫師でございます」でした。
確かに「目貫師」という職業と目を抜くという行為はきれいにはまっていますが、いかにも取ってつけたようなサゲです。これも「説明的」なサゲです。後半部分に大きく手が加わったために、どうも最後がもたもた、ごちゃごちゃとしてしまいました。ここはシンプルに「目が違た」で終わる方がすっきりおわれるのになあ。と残念な気持ちになりました。
笑福亭銀瓶さんがツイッターでぼやいてはりましたけど、「一文笛」の「ぎっちょ」が差別的だということで、某NHKからネタを替えるように言われたそうです。結局ネタを替えて出したものの、出演自体がなくなったということでした。演者自身が「こう演りたい」と思って変えるのであれば、あとは「好みの問題」ということでいいと思うのですが、こういう言葉狩りみたいなので差別がなくなるとは思えません。
文我さんが自分の意思で最後の展開を変えたのであれば、「私の好みと違う」というだけですが、自主規制的なものであれば、悲しいことです。古典としてのありのままを将来に継承することも落語家の使命だと思います。と、感想に書いてしまいました。
懲りんやっちゃねえ。

ピーマさんへ

こんばんは。
長い熱いコメント有難うございます。
米紫さんの「宗論」は、独演会が初演だったとは驚きました。凄い度胸ですね。もう一つのサゲは、黙れ異教徒! で終わりだと思っていましたが、続きがあったんですね。番頭さんはイスラム教徒だったっていうサゲは面白そうだし、聞いてみたくなりました。
 文我さんの「景清」、せっかく大名行列まで行ったのに、残念でしたね。心中お察しします。しかし大名行列を文我さんが出されたのは、たぶんピーマさんの熱い要望に応えたものだったと思うので(もしくは以前から出したかったと思っていたのでしょう)、もしそうだったら凄いことだなあと思います。「気違い」という言葉は、落語のサゲとして出してもいい言葉かどうか、一度アンケートを取ってみたいですね。私は小さい会なら出してもいいと思うのですが…。NHKはNHKの価値観があるのでしょうね。それが落語好きの人たちと乖離していることは悲しいことです。テレビで流れていることが正しくてそれが全てだと思う人も少なからずいるので、客を選べない苦しさがあるのでしょう。落語を生で聴きに行く人は、噺家さんの言うことを、どこからどこまで本当のことなのか半信半疑で耳に入れますから、それを鵜呑みにする人は少ないと私は思っています。そういう微妙な所が、時間制限や空気の伝わりにくさとあいまって、落語をテレビで楽しめない原因になっているのではないでしょうか。
 私は落語に関して言えば「古典」は常に上書きされるものだと思います。先人と同じ事ををして、いつかこれで超えてやるぞと思った時は、そのままのテキストを使うでしょうし、同じ事をしても敵わないと思った時は、自分の言葉にすると思います。どちらにせよ、お腹の底から偽りのない気持ちで言葉を口にしないといけません。文我さんは、今はどういう気持ちでいらっしゃるのか、私には伺い知れませんが、あのサゲを言った瞬間は迷いが無かったものと思います。…とはいえ、比較的新しいサゲだと思うので、もう少し様子を見られた方がいいんじゃないでしょうか。
プロフィール

湖涼

Author:湖涼
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