大そうじ

今日一日、明日の分も、
やったつもりです、大そうじ。
「よう頑張ってるな~」
と、母。
「そりゃ、明日出かけるもんで…」

寝坊しませんように!



この間26日に書いた崇徳院の記事が、
余りまとまってなかったので、
もう一度(修行者のようだ)。


「芸能懇話6」を読んで分かったことは、
桂 米之助(のちの四代目米團治)が、
大正10年11月に
「崇徳院」を出しているという事でした。


分かっている事を
時系列に並べてみます。

・明治43年発行『豆だぬき』に
二代目桂 三木助の「崇徳院」速記

・大正10年11月
三友派若手連による民衆落語研究会にて
桂 米之助「崇徳院」を出す。

「上方はなし」第19集によれば、
この頃に
「良い噺だが、オチが二輪加で感心せぬが、
どうにかならないものか」と、
枝鶴(のちの五代目松鶴)と米之助たちの間で
話題になる。米之助が新しいオチを考えたが、
上手くいかなかった。
(詳細は19号に掲載)


・大正12年発行『滑稽落語名人揃腹鼓』に
四代目笑福亭 松鶴の「崇徳院」速記
(※二代目三木助のものと殆ど同じ内容)

・昭和4年発行『落語全集』
上記の本の「崇徳院」を再録したもの。


・昭和12年『上方はなし』第19集にて

木村氏が、五代目松鶴の「崇徳院」に、
①オチは「人徳」よりも「割れても末に…」を
演って欲しい、という事、
②お嬢さんが扇子に歌を書くのではなく、
風で飛んできた短冊を、若旦那に手渡して欲しい
という注文をした。


五代目松鶴の返事
「全く仰るとおりです。
今後は原作の通り演ることにします
(※詳細略)」
以下、余談話が続く
・私が小学校で「崇徳院」を
出した時、米之助君も、
ちょうど同じくらいの時間に、
別の場所で「崇徳院」を演じた日だった。
以前から、意見が一致せず、
たびたび議論をやっていた
ものだから、
この日も、酒の勢いもあって、
時間を忘れて、議論した。
 私は扇子に歌を書く手法ですが、
米之助君は、扇子は下卑でいかん、色紙が良い、
と言うのです。(以下略)
(いつ頃の事かはっきり書いていないが、
つい最近の話のように思われる)

・同じく第19集にて
伊勢三郎と野崎万里の対談

「米之助君の「崇徳院」はどうだった?」
と伊勢氏に問われて、
野崎氏
サゲをやらなかったが、「崇徳院」とは
珍しい出しものだった。
今頃はめったに聴けない噺だし、やっても客が
喜ばないだろう」

・昭和12年発行
『上方はなし』第20集
野崎万里の意見
①サゲは、「割れても末に~」が良い。
②扇子か色紙か、どちらも大差ない。
但し、風にのって落ちてきた短冊を渡す手法は、
好ましくない。【※将来東京型になるもの】


・昭和13年2月1日発行
『上方はなし』第22集にて
京野 孝「第二回京都公演私評」
米之助の「崇徳院」について、
『当夜きっての熱演で、
研究の跡もうかがえて好感が持てた。
オチは「買わんとぞ思う」と演った(以下略)』


・昭和23年ラジオ台本
五代目松鶴の「崇徳院」速記
①短冊でも扇子でもなく色紙を使っていた
(四代目松鶴と同じやり方)
②サゲは「人徳」ではなく「瀬戸物が割れ」、
「割れても末に買わんとぞ思う」(弁償するという意)
(四代目松鶴は、“買わん”を否定形として使い、
「弁償しない」という意味にしている)
その他、従来の四代目松鶴の内容よりも、
かなり伸びがあり、相当手を加えた跡が伺える。

・熊五郎と若旦那の掛け合いが長い
若旦那が恋患いをしていると、告白するのに
ためらう場面が追加された。

・熊五郎が「せをはやみ~」の歌を暗記している
→五代目文枝も同様(但しサゲは鏡)
→二代目春蝶も同様(但しサゲは無し)
(これを継いでいる噺家さんの情報を他に知らない)
(六代目松鶴は歌を忘れるやり方)

熊五郎が路上で「せをはやみ」と言うのに
ためらいを見せ、観念して言う

(四代目松鶴は、このような場面が無く、
熊五郎が床屋で「せをはやみ」と独り言を言うのみ)

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