第八回 米紫の会

2011年12月20日(火)鶴橋・雀のおやど

桂 鯛介 「子ほめ」
桂 米紫 「京の茶漬け」
桂 紅雀 「さかさま盗人」
桂 米紫 「景清」


私の笑うツボがブラックホールに吸い込まれて、
どこかへ去ってしまったようです…。



この日は、本当に、どうしてこうなったのか、
私の体にある、笑いのツボが、
何処かに移動したとしか思えません。
晩ご飯を食べるところを探し回って、
疲れてしまったのでしょうか?

初めて降り立った、鶴橋駅。
苦い思い出になりました。
悔しい(><)


お客さんは、ほぼ満員。
基本的に座布団席のようですが、
後ろの方に「予約」と書かれた椅子席がありました。
いつもはこんなにいっぱい入らないらしく、
“モーゼの十戒”のように、
お客さんが両壁側に並んで、真ん中は
あまり人が座ってない…という事もあるそうです。

紅雀さん効果?
だとしたら凄く嬉しいのですが。^^

そういえば、
家に帰って翌日に、母から、
私の部屋からにんにくの臭いがする、と、
言われてしまい、大ショック!
周りに座って方々…
においの犯人は私です。(><)
他に韓国料理を食べている人、
いたらよいのですが…
(仲間がいる事を切に願う)。



鯛介さんは、
初めて見る噺家さんです。
塩鯛さんの四番目のお弟子さん。
私と同じ年だと思っていましたが、
30を過ぎているという話を小耳に挟みました。
「子ほめ」は、
滑らかな口調で、殆ど詰まった箇所が
見られませんでした。
人物の描写などは、彫りが深くて、
とてもつい最近、弟子入りしたと思えません。
30年という月日、落語の修業はしていなくても、
知らず知らずの内に、人を観察する目を
どこかで養っていたのだなあと思いました。
 ただ、落語の「間」というか呼吸というものは、
修行(というか本番の高座)によって、
培われるものだと思います。
「さて、これがあんさんのお子さんでございますか」
これは、ご隠居さんが、
扇子でピシャリと膝を叩いた後、
一呼吸、置いてから出る台詞(たぶん)。
この日だけなのかもしれませんが、
呼吸が浅く、矢継ぎ早に上記の台詞を
言ったので、噺の列車に飛び損なってしまいました。
 主人公が、ご隠居さんと別れて、
別の場面に入るときも、何だか、ちょっと、
早すぎたように思います。
「さいなら」としっかり言うとか、
もしくは玄関を出るような噺の切り目のイメージが
欲しいなあと思いました。
 噺の後半は、赤ちゃんをあやす様子も巧みで、
お客さんも少しずつ温まって来たように思います。
「イヨ!町内の色男」
この、イヨ! が、声が裏返って面白かったです。
あともう一ヶ所、声が裏返った所があったのですが、
鯛介さんが無我夢中になって、無意識に出る声のようでした。
噺が盛り上がらないと出ない声なのかも。
あと、笑顔がいいなあと思いました。裏返った声と笑顔がいい。
 前半、主人公とご隠居が、仲が良いように
思えなかったのが残念。笑顔が少なかったのかな。
 鯛介さんの「子ほめ」を、
こうやって書くと、めぐりめぐって、
「子ほめ」を教えた人まで批判しかねないと思うのですが、
メモ代わりに書いておきます。
赤ちゃんのお腹を押す場面はやっぱり苦手です…(×_×)
押すにしても、もう少し加減してあげて…。


お次は、米紫さん。
米朝事務所には、噺家が50人くらいいるけれども、
5人しか、京都出身京都育ちはいない、と。
意外な事に、米紫さんもその一人。
賑やかな感じがするので、大阪の人だと思ってました。
 「京の茶漬け」は、初めて聴く噺です。
京都では、客人が帰る間際に
「お茶漬けでもどうですか」と言う習慣が、
(今もあるのか分かりませんが)昔あったらしく、
それを聞いた大阪の男が、
挨拶で言っている言葉と知りながら、
ほんまに「下さい」と言って食べてやろうと、
目論む…。
米紫さんが「こんなアホがおりまして」
と、紹介されたので、本題とは関係ない、
完結した小噺をマクラで話されたのかなと、
思ってしまいました(><)
実は、私が小噺と思っていた部分は、
本題の設定部分で、重要な部分だったんです。
ぼ~と聞いてたのかな…
主人公の男が、京都にいる友達の家に行って、
何か出てくるのをイライラしながら
待っているのですが、
何を待っているのか、はっきりと確信が持てなくて。
「お茶漬けでも」っていう台詞を
待ってたんですね。
自分の気づきの遅さを痛感…orz
 米紫さん、賑やかな喧しいお上さんを、
演じるイメージがあったのですが、
「京の茶漬け」に出てくるお上さんは、
ごく普通の、京都の女性で、
おしとやかで、はんなりしていて、
とても品があるように見えました。
ただ、語尾に「~どす」と付ける回数が、
若干多く感じられ、京都人らしさを、
それ以外の言葉やイントネーションで、
出して欲しかったかなあと。
(私が発見できなかっただけかも^^;)
断定的に物を言わず、
回りくどい言い方をするのが特徴らしいので、
主人公のイライラを募らせる一因に、
京都のお上さんのそういった話し方が加われば、
面白いのになあと、勝手に思ってしまいました。
 この噺は、主人公が変わった願望を持っており、
その思いを叶えたいけれども、
友人宅なので、他人行儀にしないといけない、
という葛藤があります。
「…こたえんなァ」と云うのが、
この噺の決め台詞?らしいのですが、
ここで効果を生むには、
主人公の葛藤をどれだけ上手く伝えられるか、
にかかっていると思います。
 「こたえんなァ」は、主人公の暴走する思いを
いったん区切る、噺の節目(鎮静部分)の役目を負って
いますから、葛藤を上手く描くことが出来れば、
この台詞も決まってくるのではないかと。
 葛藤を描くのは本当に難しいと思います。
でも、噺家さんの本領を発揮する場でもあります。
 米紫さんの今回のお噺は、充分面白かった
のですが、この人なら、もっと面白くできる。
と思いました。
 京都のお上さん、大人しいだけの人かなと
思ったら、最後、お茶漬けを出すのに、
なけなしのご飯をお櫃から削り取る仕草に、
笑ってしまいました。


 お次は、紅雀さん。
マクラは、紀の川寄席と殆ど同じだったのですが、
紀の川寄席の方がよく受けていたように思います。
思うように言葉が出てこない感じがして、
あれれ、どうしたの? といった印象。
紀の川寄席の時は、
文華師匠がいて、本番前から、
緊張しつつ雑談されている様子が、
内容までは分からなかったですが、
楽屋となっている幕の内から聞こえたんですね。
「話さなきゃ!」っていうスイッチが、
早めに入ったから、マクラも噺も良かったのかな。
 この日は舌足らずな感じを受けました。
本題に入ってからも、それを引き摺ってしまった様子。
(これは私の感想で、他の人は良かったと言ってました)
間延びせず、テンポが良かったと言っていましたが、
私は、間を溜めれず、全体的に詰まった印象を受けました。
(う~ん、十人十色!)
 内容は、最近、動楽亭で見た「さかさま盗人」と
ほぼ、同じもので、
盗人も、妻にお金を持ち逃げされたという過去があり、
妻に家を出て行かれた主人公に同情して、
お金を渡してしまいます。
妻の名前は「お滝」から「お千代」になってました。
天下茶屋の黒曜石、南堀江の黒真珠(うろ覚え)
という台詞も入ってます。
 紅雀さんの噺を面白く聴けなかったので、
その原因を探してみたのですが、
(間が悪く感じたのは、この日限りのものかと
思うにしても)、
盗人が、主人公を助ける理由に、
同じ女性に振られたから、というものは、
特殊なケースすぎて、感情移入しづらいです。
同じ女性を愛していたから、
お金を渡すことになったのでしょうか。
同じ女性でなかったら、
お金を渡していなかったのでしょうか。
「さかさま盗人」の盗人は、
そうじゃないですね。
あわれな住人に同情して、お金を逆に恵んでしまう。
(同じ女性で無くても、お金をきっと渡してしまうはず)
その人情味が、ポイントになってきます。
同じ女性を愛していたという過去が露見し、
それを機にお金を渡すのは、
コミカルな展開で面白くはありますが、一方で、
盗人の持つ人情味が薄れてしまいます。
 紅雀さんは、「死にたい」と言っている
見ず知らずの人間に、盗人がお金を渡すだろうか?
という疑問を解決するために、盗人に対して、
過去設定を付けたと思うのですが、
私は、同じ女性を愛していたという設定の前に、
盗人が「自分も女房に逃げられた過去がある」、
という漠然とした台詞を言うに留めていた、
「さかさま盗人」の方が好きだなあと思いました。
 今回は、短刀を仕舞う仕草が見られましたが、
やなせたかしの「てのひらを太陽に」の歌のフレーズは、
最後の最後にずれて出てきてしまいました。
これは、盗人が別れ際に言うよりも、
死にはやる主人公を説得する過程で、出してもらいたい
くすぐりです。ちょっとしたサービスで付け加えたような、
くすぐりっぽく見えたら嬉しいのですが…。


トリは、米紫さんの「景清」。
初めて聴く噺です。ずっと“けいせい”と
読んでました…(正解は“かげきよ”)。
ストーリーそのものも知らなかったのですが、
四代目米團治が載っている「上方はなし」に、
「盲景清」と、あったので、
目の見えない人の噺かなと思っていたら、
どんぴしゃり。
 主人公は、元職人で、
眼病にかかり、目が見えなっています。
 まず、冒頭に大衝撃を受けました。
主人公が杖をつかないまま、
大手を振って、往来を歩いているんです。
歌を歌いながら。
 これはもの凄い、個性的な主人公だなと
思いました。
目が見えるようになるよう、観音参りもするのですが、
そこで女の子を口説いてしまう始末。
こんな破天荒な主人公は、
滅多とお目にかかれません。もう釘付け。
米紫さんの演じ方も良かったです。
すごくリアルに感じました。
 私を噺の世界から、引きずり出したのは、
主人公の相談相手である、ご隠居さん。
しきりに、観音参りを勧めます。
まだ職人としての未練もあるだろう、と。
自分を偽って生きるな、と。
そう思うなら、
あなたのお金で、名医を呼んでください。
何故、神頼みなのか…。
現代人の感覚から言えば、そうなってしまいます。
江戸時代、医者に見離された一般人は、
神頼みしか残された手はなかったと思います。
しかし本当に、心の底から信じていたのか…。
落語では、神仏や、信心深い人間を、
多く笑いの対象にしています。
 ところが「景清」のご隠居の信心深さは、
笑いの対象になっていません。
主人公を苦しめるものになっています。
このご隠居だけ、中世からタイムスリップ
したかのように古い人間なんです。
観音参りを勧めるのに、何か理由が欲しいところ。
どこの観音さんでも良い、と言うのは、
彼の性格上、考えられません。
昔、ご隠居も清水の観音参りをして、願いが叶ったとか、
そういう過去を持つなら、勧めるのは分かります。
 目が見えるようになってハッピーエンド。
それでいいのか、という思いも沸いてきます。
目の見えない人は、不幸なんだという考え方が、
この噺の根底にあるような気がして。
針や按摩の勉強をしながら、観音参りをしても、
いいじゃないですか。
目が見えなくなったら、もう終わりだ、神頼みして、
目を見えるようにしてもらおうという、
ご隠居や母親の考えは、受け入れにくいです。
 主人公が、目が見えなくても明るく歩く姿は、
彼らの考えをはねのけるものでしたが、
主人公は、ご隠居に諭されるうちに、
本当は、目が見えるようになりたいと、告白します。
個性的な主人公から、
普通の人間になってしまいました。
 この噺、泣かせどころが幾つかありますが、
個人的には、一つにまとめてもらいたいです。
観音参りの100日目で主人公が
ぶち切れる場面があり、その一環で、母親が待っていると、
うなだれて、また切れてもいいんじゃないでしょうか。
湿っぽい噺はどうも苦手なので、
それをどうすれば回避できるのかという、
あんまりな感想になってしまいました。
 米紫さんの演技そのものは、大変良かったですし、
熱演だったと思います。
お経をコミカルに唱える場面も、
真剣に唱える場面も、引き込まれました。
また、サゲ前の場面は、幻想的なムードが漂っていて、
どうなるんだろう? と本気で思いました。
杖を失い、絶望する主人公の顔が忘れられません。
一転して、噺そのものが明るくなる瞬間も。
 この噺は、目の見えない人に対して、婉曲的に
風当たりが強いものになっているので、
昔の目の見えない人は、どういう待遇を受けていたか、
それをマクラで少し触れてから、本題に入ったほうが、
良いのかもしれません。
サゲは、
観音さんが「下取りの目は置いてゆけ」。
前の目を、持って帰るなという意味だったと思います。


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自分勝手ですが

当日は、繁昌亭で笑福亭で腹を捻って笑っていたくせに、大変自分勝手ですが米紫君の「景清」はどうでしたか?気になって気になって、本当に行きたかったんですけど、福笑&たまも捨てきれず行けませんでした。
紅雀ファンの湖涼さんではありますが、他の噺に対しても鋭いコメントが来ますので楽しみにしています。ぜひ続きを。
それにしても鯛介はいいですよね。米紫君が稽古付けてるらしいですよ。

ピーマさんへ

てっきりお越しだと思っていた会でしたが、姿が見えなかったので、お仕事かなと(笑)。ツイッターを見ましたが、呼吸困難になるほど笑ってしまったというのは、本当に羨ましいです。私は落語でそういう風にまだなったことないので(^^;)<父がエルビスプレスリーのモノマネをした時は、本当にお腹が痛くなるほど笑いましたが…これはまた別ですね。米紫さんの景清は、おいおい書いていきます。鯛介さんは、今までに無い経歴の持ち主なので、これからどう成長するのか本当に楽しみですね。

景清について

この噺には続きがあります。
御隠居が言うように、悪七兵衛景清は、平家の武将で壇ノ浦で平家が滅んだあと、源頼朝の命を狙って捕えられ助けられた伝説の豪傑。源氏の世を見るのが嫌さに自ら目をえぐり取って清水寺へ奉納したとされています。この話は、歌舞伎や浄瑠璃で庶民の間でもよく知られたものであったようです。元々この噺は、その歌舞伎を題材に作られた芝居噺です。
定次郎が景清の眼をもらって、意気揚々と山を下りていくと、寺町あたりで大名行列に出くわします。ここで気の大きくなった定次郎は控えることなく大手を振って歩いて行く。それを制止しようとした侍を手で払うとどーんと倒れてしまう。5,6人の武士に取り囲まれて、定次郎が「乗り物、やらぬ」と見えを切ります。ここから鳴物が入り芝居がかりになっていきます。「名を名乗れ」と詰め寄られて「わが名が聞きたくば名乗って聞かせん」と名乗りを始めます。そして「悪七兵衛景清なるわ」と長い名乗りが終わると、駕籠の中から殿が「景清などと何を申すか、こやつ気が違うたな」「いや、眼が違うた」が正しいサゲです。
つまり、景清の眼を入れたおかげで景清の人格まで乗り移ったという噺なのです。落ちも「気」と「眼」が違うという典型的な地口落ちです。私は、実はこの話はここまでやらないと完成しないと思っています。
なぜこの部分をやらないのかというと、「気が違う」という表現が差別的であるということもありますが、「人情話的な前半からいきなり噺の雰囲気が変わるので、興ざめになる」「ベタすぎるサゲがおもしろくない」などの理由もあって以前から前半だけで切る演出があったようです。そこへサゲを付けたのが「下取りの眼は置いて行け」で三遊亭圓馬が創作したものと言われています。
でも、この構成だとなぜ景清の眼でなければならないのか必然性がないのです。情味あふれる前半から、最終盤に加速度的に雰囲気が変わっていくところ、噺が傾いてくるからこそ、庶民が拍手喝采するのです。そして、最後はベタなサゲでいいんです。落語のサゲがそんなに上等なものである必要もありません。「下取りの眼」もあんまり上等なサゲとは思いませんし。
落語は、娯楽だということです。だから「時うどん」の途中でゴジラとモスラが戦ってもなんとか一文儲けるまでうどんを食うのを止めない「時☆ゴジラ」(笑福亭鶴笑)みたいな話が成り立つのです。
枝雀の「緊張と緩和」とは落語の本質を端的に表現した言葉だと思います。「景清」も最後に、ワッと解放されて大暴れして、ベタにサゲる。これこそ緊張と緩和だと思うのです。
私の大好きな「景清」の完全版は生きているうちに聞けるのでしょうか?最後に聞いたのは、米朝だったか枝雀だったか、もう忘れるほど前のことです。
あなたのブログなのに長々と占拠してしまい申し訳ございません。こと「景清」になると少し、いや大いに興奮してしまうおじさんでした。
長文読解お疲れさまでした。

ピーマさんへ2

長コメありがとうございます。
このブログを見に来た人も、ピーマさんのコメを読めば「景清」の本来のサゲを知る事ができるようになりました(^^)。
 サゲはベタでよいというのは、私も同感です。(個人の好みではありますが、はっきり言っておいた方が噺家さんにとっても良いでしょう>何を考えているのか分からない客ほど怖いものはないと思うので)。
 本来のサゲまで演じないと、景清の眼である必然性は無い、とありますが、眼を奉納された寺は少ないように思いますので(眼を奉納するくらい過激な人も少ないのでは)、主人公がそういう謂れのある清水寺観音堂に偶然にしろ行く事になるのは、別にいいんじゃないかなあと思います。伝説の武将の眼なので、はめた後に「力が沸いてくる」と言う台詞は、一応あるみたいですよ。主人公が職人として成功する兆しのようなものも感じられました。
 米紫さんが、ピーマさんの言う正しいサゲまで演じる事は、将来あるかもしれませんが、ネタおろしの段階で、演じられなかったというのは、お稽古をつけてくれた師匠が、本来のサゲを演じていない可能性があります(米紫さんが、その師匠を選んだ理由を考えると、本来のサゲの必要性を今は感じていらっしゃらないのでは)。また、本来のサゲまで行かなくても、とても長い噺でしたので、本来のサゲまでしたのなら、「京の茶漬け」を演じる時間は無かったように思います。長講をメインとする会に的を絞って「景清」を探されると良いのかもしれません。
 私は、幕末に人情噺が流行するまでは、「景清」も人情噺ではなく、「犬の目」のように明るめの噺で、本来のサゲが似合う噺だったのではと考えています。今の「景清」は人情噺の色が濃いので、本来のサゲは、誰がしても似合うものではなく、人情噺として切りよく語りたい人は、前半で切り、そうでない人は本来のサゲまでするのではないのでしょうか。
プロフィール

湖涼

Author:湖涼
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