図書館その2

図書館に行っても、
いつも肝心のものを見落としています。

この間、やっと数ある枝雀さん本の中から、
お弟子さんたちが座談?しているものを発見。
写真の紅雀さん若い(><)
そして、プロフィール欄に、
「紅雀に始まり紅雀に終わる」という
勉強会を開いている、と書いてありました。
し、知らない会だわ…!



そして、枝雀さんに弟子入りする前、
全国各地の枝雀さんの出る落語会に通っていた
という…そこまでは知っていたのですが、
具体的に地名が出ると、
紅雀さんの、枝雀さんに対する情熱が
もの凄く感じられました。
(千葉も行ったって書いてました)
(北海道から青森は分かるけど、
飛行機で行ったのだろうか…)

それを読むと、
私の紅雀さんに対する情熱なんて、
屁みたいなものだなと。
京都も滅多に行かないんですから…。

結局は、自分にしか興味が無いのかなと、
ちょっと冷めた思いを持つときがあります。
紅雀さんという刺激を得て、
自分の中で何が生まれるんだろうとか、
そういう期待もありますので。


話は変わって、
枝雀さんの「かぜうどん」(CD)。
ずっと前に、図書館で奇跡的に借りれたのですが、
(予約して待てばいいのに、いつも
偶然手に入る時を待っている私…)
その内容を中々思い出せなくて、
紅雀さんの「かぜうどん」を聴いて、
やっと記憶の引き出しをズルズルと開けました。

枝雀さんの「かぜうどん」(CD)は、
彼の吐息(仕草か)と、お客さんの笑い声が
大半だった印象があります。
だから、ストーリーが全く音から読めなくて、
途中で寝てしまいました(^^;)
CD派泣かせの枝雀さん…。
演目によって、
CDが良い時と、DVDの方が良い時と
分かれるのですが、
たぶん、かぜうどんは、DVDを見ないと、
よく分からないネタだと思います。

ワッハ上方に行くには、
他にも用事が欲しいところです。



ところで、前の日記の妄想の続きです。
(もうええっちゅうねん)

二代目三木助から「崇徳院」を教わらずに、
東京に帰って来た、後の三代目三木助。
ほうぼうで、崇徳院の情報を集めますが、
友人から勧められたのは、円右師匠でした。
(※妄想です)

三代目三木助「…円右師匠だって? 冗談じゃねえや。
金の野郎は年がちけえから、ものも頼めたってえのに、
あんな年寄りんとこ行ったら、どんな小言食らわされんのか、
考えただけでも、ぞっとしちまう。…あ、師匠、
暫くご無沙汰しておりまして、失礼しやした」
円右師匠「話ァ聞いてるよ。崇徳院探してんだって?」
三木助「へっ、その通りで」
円右「お前、上方の三木助サンとこ行ったんだろ」
三木助「へえ」
円右「なら、この本、見覚えねえか」
三木助「あっ、その本、持ってます」
円右「だったら、何で俺んとこ来るんだ。中、読んでねえのか」
三木助「読んでねえです。師匠が“荷物になるだろうけど、
記念に持ってけ”って。それっきりです」
円右「汽車ん中でも読まなかったのか」
三木助「汽車ん中は寝てました」
円右「このまぬけ野郎! あっ、こいつ、
キセルでぶったたいでもビクともしねえ。
こら、そら、俺の本だ! 勝手に読むんじゃない」
三木助「師匠の崇徳院が載ってる…」
円右「だから言ったろ。なんで、俺んとこ来るんだって。
大体な、お前、一年くらいしか上方に居れねえんだから、
師匠もどうしてもつけたいネタしか稽古できねえ、
お前の都合なんざいちいち聞けやしない。
それが申し訳ないってんで、お前に本をくれたんだ。
向うの気持ちも知らねえで、あちこちかぎまわりやがって」
三木助「し、師匠…!」
円右「畳にシミ付けんじゃない。早く家ぃかえって、
お礼の手紙でも書きな。早く帰りやがれ、馬鹿野郎」
三木助「師匠ー!!」
円右「早く帰れって言ってんだろ!」

・・・
すみません。
今調べたら、初代円右は大正13年に亡くなってました。
上の妄想は、昭和の始め頃なんで、矛盾しますね。^^;
(じゃあ、二代目でいいじゃん←適当すぎる…)
三木助はこの後、博打にはまって、舞踊家になります。
(すごい人生だわ)
その後、昭和18年に、
橘ノ円(まどか)として噺家復帰。
この頃から崇徳院を出していたそうです。
昭和25年に三代目三木助襲名。

二代目三木助の「崇徳院」と、
三代目三木助の「崇徳院」が余りに違うので、
直接教わってないのかなあ、という妄想でした。
(※三代目三木助のwikiには
教わったと書いてあります)。

教わったとしても、
博打とか、日本舞踊とかで、内容を殆ど忘れていて、
噺家に復帰しようと思った時くらいに、
うろ覚えながらも、自分の世界観を込めて、
ノートに、ば~っと書いたんじゃないでしょうか。
それくらい、二代目三木助の「崇徳院」と
差があります。
むしろ二代目三木助の崇徳院をしっかり覚えていたら、
あそこまで克明な描写は出せなかったかもしれません。
今まで見聞きした「崇徳院」を吸収し、
いったんリセット(空白状態)してから、
一から仕立て直した印象です。
その際に、
金語楼の鏡を割るサゲにしています。

上方で、いつ頃、鏡を割るサゲをやり始めたのか、
分かりませんが、
昭和23年の五代目松鶴のラジオ台本では、
まだ瀬戸物(皿)を割るサゲです。
三代目三木助が、昭和18年から25年の襲名まで、
橘ノ円であった頃から、崇徳院を出していた事を
考えると、
上方よりも、東京の方で、
鏡が割れるサゲや、内容の膨らみを得ている部分が
多かったように思います。

上方の崇徳院の内容に膨らみを持たせたのは、
三木助よりも後の世代になる、
米朝さんだと私はにらんでいます。
(思い込みが激しいので注意してください)。
六代目松鶴は、かえって内容を短くしようと
試みたことがあるようですが、
話が飛躍的に伸び、後戻りできない危機感が
あったのかもしれません。

三代目三木助は、
たびたび大阪に来ていたようなので、
その時に、五代目松鶴や、四代目米團治と、
崇徳院について語り合っていたら…
アイデアを出し合っていたら…
とても素敵だなあと思います。

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