新うすゆき物語

『歌舞伎名作選 第7巻』
(創元社・昭和31年刊)←古!

「新うすゆき物語」の台本が載っていたので、
図書館に取り寄せてもらいました。

米朝さんの本の中で、
師匠・四代目米團治が「崇徳院」の冒頭は、
上記の歌舞伎をイメージして作ったのでは、
と、言っていたので。




まず、江戸初期に
仮名草子「薄雪物語」が流行します。
それを題材に脚色したものが、
小説「新うす雪物語」、1716年刊行されました。

その小説を元に作られたのが、
「新うすゆき物語」です。
人形浄瑠璃は、1741年5月、大坂にて初演。
歌舞伎は、同年8月京都にて、初演。
江戸で同名の歌舞伎が上演された時期は、
ちゃんと調べきれなかったのですが、
1798年に江戸の浮世絵となっています。

とても流行ったお芝居だったんですね。
(と言っても、三大歌舞伎【義経千本桜】【仮名手本忠臣蔵】【菅原伝授手習鑑】には、負けると思いますけど^^;)



落語「崇徳院」の作者と言われている
初代桂文治は、1773年生まれなので、
上方の歌舞伎「新うすゆき物語」(1741年初演)は、
彼が生まれる前から存在していた
お芝居だったと言えます。


では、落語「崇徳院」の冒頭と、
歌舞伎の「新うすゆき物語」の冒頭が、
どれくらい共通点があるのか、
ここで、メモしていきたいと思います。


取り合えず、崇徳院の内容は頭に入っているので、
「新うすゆき物語」の内容から。


舞台は、京都の清水寺観音堂。
桜の季節です。
そこへ薄雪姫が登場。
一人ではないです。凄い行列。
『行列三重、向うより絹羽織、袴、股立二人、
その次へ侍四人、
女小姓両人、守袋、定家文庫を持出る。
この次へ薄雪姫。振袖形(なり)、
次に籬(まがき)、ひらり帽子、腰元形、日傘をさし、
跡より腰元皆々出て、舞台へ来る』

▲「崇徳院」のお嬢さんは、
お供を5~6人連れて…(東京では、2~3人が多い)
とありますが、その比ではありません。
お姫様だから当たり前といえば、当たり前なのですが…。


お供廻り(その他大勢?)は、舞台から去り、
お姫様と腰元だけになります。

腰元で一番偉い「籬(まがき)」が、
あまりに良い桜景色なので、
「木(こ)の下蔭を宿として、しばし床机に」
と、薄雪姫にオススメします。
姫も「よい眺め」と、承諾。
皆々で毛氈を敷き、薄雪姫は床机に座ります。
(ここの場面は「崇徳院」っぽい!)

腰元その1から8までが、
桜景色を褒め称え、
(何故か他の桜の名所まで教えてくれる)、
ここで歌を詠みましょう!
と、お姫様にオススメします。
お姫様も乗り気で、
「腰元共料紙(れうし)持ちや
腰元は、料紙と硯と文箱を持って来ます。
(すごく「崇徳院」っぽい!)

「春ごとに見る花なれど今年より、咲き初めたる心地こそすれ」

見事に一首できました。
「籬(まがき)」が姫から短冊を受け取り…
(台詞では「料紙」と言っているが、実際は短冊のようです)
「テモ面白いお歌」だと褒めます。

腰元が、
「この短冊を、どこぞの枝へ付けてはどうでしょう」
と、オススメすると、
姫は、
「どうなとよいやうにしてたも」
と、投げやり?なお返事。
腰元は、桜の枝に短冊をかけます。


姫ご一行は、ご参詣をすべく、
舞台に上がりますが、遠眼鏡で遊びだします。
「あんな参拝客がいる、こんな参拝客がいる」。

すると、「籬(まがき)」が、
姫が片思いしている(たぶん)若殿を発見。
「笠を召してございるゆゑ、お顔が見えぬ。
困ったものぢゃ」
 笠を被っているのに、相手が誰か分かるなんて!
「籬(まがき)」はエスパー?
と思いきや、彼女と男女仲にある
「妻平」が若殿のお側役として近くにいたので、
“若殿だ!”と分かったようです。


若殿は、桜の枝にかかった短冊を発見し、
「これは面白い歌だ」
と、桜の枝ごと手折ろうとしますが、
そこへ、「籬(まがき)」が登場。
腰元なのに、若殿と直接やり取りをします。
「その枝は、姫が短冊をかけたもの。
手折るなら姫に断りを入れなさい」

・・・「籬(まがき)」は、
姫と若殿をくっつけようと目論んでいるようです!
それに対し「妻平」は鈍い(><)。
ちょっと喜六みたい(笑)。

「籬(まがき)」が、
姫に若殿を会わそうとするも、
若殿は、
「女中ばかりのその中へ…(略)
人の口には戸が立てられぬ。覚えなき身に浮名を立てられ、
互ひの難儀になるまいとは申されぬ」
(完全に腰が引けてます! しかも姫は完全に片思い)


お姫様、それを横目に、
硯を引き寄せ、短冊へ歌をしたためます。
(5・7・5・7まで書けたが)
肝心の下(しも)の7句が、
なるかならぬか知れぬゆゑ、いっそ苦労になるわいなう

と(ゴーイングマイウェイ)。

「籬(まがき)」は、
その短冊を持って、若殿の元へ。
“なるかならぬか”を書いてもらうためです。
そこへ、空気の読めない「妻平」が!
漫才のようなやり取りをして、
「籬(まがき)」は「妻平」を押しのけ、
若殿に、ダイレクトアタック(直撃)。

薄雪姫の歌は、
枝高き花の梢も折れば折る 及ばぬ恋も…
というもの。
「籬(まがき)」は、恋がなるか、ならぬか、
若殿に書いてもらおうとします。
深く考えていないような若殿は、あっさりと、
なるとこそ聞け
という、恋の成就を思わせるような、
下(しも)の句をつけてしまいます(うわ~)。

それを見た「籬(まがき)」は大喜び。
姫の願いを叶えてくださいと、
若殿に願い出ます。
びっくりしたのは、若殿。
そんなつもりじゃなかったのに!
「籬(まがき)」と「妻平」に囲まれて、
『夫婦になったらいいじゃない』攻撃を、
「だまれ」を連呼して防ぎます。

これでは、埒があかないと思った「籬(まがき)」、
お姫様に対して、
サアお覚悟遊ばしませ
と言い放ち、
薄雪姫は、なんと、
若殿の刀に手を遣って自害しようとします。

若殿「これはしたり、短気千万。お待ちなされ」
ト刀をもぎ取る。薄雪その手にすがり
薄雪「及ばぬ恋をなま中に、死なうと思ひ定めしを、斯うお留め遊ばすは、お叶へなされて下さるるといふ、お心でござりまするか」
若殿「サ、それは」
籬「叶わぬ事なら、やっぱり放して」(強引)
若殿「コレ、あぶないわいなう」
籬「そんならお叶へなされまするか」(脅迫)
若殿「サ、それは」
薄雪「お返事ないは、死ねとの事か」(脅迫)
若殿「サア」(←可哀想。ToT)
三人「サアサアサア」
薄雪「お叶へなされて下さりませ」(強引)
若殿「いかにも願いを叶へました」(陥落)
薄雪「エエ、お嬉しうござりまする」


・・・
こういう積極的な女性は、
近松門左衛門以降から、よく芝居で出るように
なったらしいです。
薄雪姫は完全に肉食系女子ですね。
 「崇徳院」のお嬢さんも、
台詞は全く無いですが、
“瀬をはやみ、岩にせかるる 瀧川の”
という歌の上の句を
若旦那に渡して、暗に、
「割れても末に 会わむとぞ思ふ」
(これが末には夫婦になろうという心の誓詞らしい)
を伝えてきますので、大胆な女性と言えるでしょう。


でも、自殺を図ったりまではしてませんね(^^;)


「新うすゆき物語」(歌舞伎)と、
「崇徳院」(落語)の共通点は、
①お寺や神社の参拝中に出会う
②毛氈・床机・硯が出てくる
③女性が歌を詠み、男性に告白する

以上のようにあげられると思いますが、
③以外は、舞台装置(小道具)っぽいです。


落語「崇徳院」は、
“割れても末に 会わ(買わ)むとぞ思ふ”
このダジャレから生まれた噺だと思いますが、
お嬢さんと若旦那の出会いの場面が、
どういう風に生まれてきたのか、
その背景を探る上で、
「新うすゆき物語」という歌舞伎は、
一つの参考になると思います。


当初の「崇徳院」は、
今の様にロマンティックな演出では
なかったでしょう。
小僧同士が喧嘩をして、若旦那が仲裁して、
お嬢さんが一目惚れして、歌を渡す…。
(「皿屋」がその名残を留めています)

「千両みかん」の設定が、
あとから、「崇徳院」に入ってきたのではないか、
と私は考えているのですが、同様に、
「新うすゆき物語」のモチーフも、
あとから導入されたものではないかと思います。


問題は、
いつ、「瀬をはやみ岩にせかるる滝川の」
の上の句を、相手を渡すと、
=夫婦になろうという心の誓詞、
という文化が生まれたのか、ですね。
 崇徳院の歌を、上記の様に扱った
他の文学作品に、中々出会えません。

歌舞伎に登場する歌とは、
全く異なるので…。




お姫様が自害する~!という場面。
「お返事ないは、死ねとの事か」
「サアサアサア」
・・・これって、「宿屋仇」にもありましたよね。^O^

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