動楽亭昼席

2011年11月10日(木)大阪市営地下鉄「動物園前」

桂 そうば 「餅屋問答」
桂 雀五郎 「初天神」
桂 九雀  「僕は廃品回収業」(半ばまで)
桂 宗助  「抜け雀」
~中入り~
桂 紅雀  「逆さま盗人」
桂 雀三郎 「胴乱の幸助」


逆さま盗人、まさかの新展開。とっても刺激的な一席でした。



お客さんは20人くらい。
こんな日に限って充実した会になります。
会場の広さ、人数によって変えれたらいいのになあ。
(噺家さんが言っていたことですが)
のびのび、見させてもらいました。


そうばさん、夏に見た「うなぎ屋」以来です。
私は未だに、この人の「狸賽」と「天災」を超える一席を、
他で聴いたことがありません。
勉強会で、フルバージョンだったという新鮮さもあったのかな。
落語を聴き始めて間もない頃でしたが、あの衝撃は忘れられないです。
「餅屋問答」は、主人公の辰が、居候をしている、
と云うくだりが語られなくて、少し物足りませんでした。
(ショートバージョンだったから?)
単刀直入に「仕事を紹介してやる」って、おやっさんから言われるんですね。ちょっと『動物園』に似た出だしでした。
 噺が進むと、今まで聴いた事の無い「餅屋問答」だという事が判明。
・寺男が辰に、「お坊さんに向いていない」と言う所で、
ひょうたんに入ったドジョウの話が出る(初耳)
・雲水(僧)の名乗りが余りに長く、
寺男が、聞き間違いをする、というくすぐりがあった。
・『問答します』と書かれた山門の石のくだりがない。
・二人は、お寺の備品を道具屋に売るのに、こそこそしない。
売ろうとしている事がばれた時も、おやっさんは激怒しない。
・最後はアッカンベーではない。親指を下に差す。
 ドジョウのくだりは自信がないのですが、
上記の特徴は、米紫さん、紅雀さん、吉の丞さんには
無かったように思います。つまり、
箇条書きで書いた事の、逆をしている、型が違うんですね。
そうばさんのは、上方落語メモの「餅屋問答」の型に近いかも。
桂 梅團治さんの口演です。
 一番違うな、と思ったのは、寺男のポジジョン。
米紫さんの型では、主人公の辰とは、主従関係がはっきりしていました。話し方から推測すると、「おじいさん一歩手前のおじさん」って感じ。昔から寺男をしているように見えます。
そうばさんの寺男は、辰の友達のようで、若くてコンビっぽいんですね。
この寺男、おやっさんが仕事を紹介したと言っていたので、にわか寺男です。雲水の名乗りが聞き取れなかったのは、お寺の仕事を長年していないせいでしょう。
 好みから言わせてもらえば、寺男は、辰よりずっと年上の方が好きです。
辰の破戒僧ぶりが際立つので。辰と寺男のキャラが被りません。
ただ、この設定にすると、
辰と寺男が結託して、お寺の備品を道具屋に売るというくだりが、おかしくなってきます。昔から寺男をしている(っぽく見える)彼が、そういう罰当たりなことをするだろうか、と。でも、米紫さんの噺を聴いて、ここでイメージが詰まったような印象を受けませんでした。辰の押しの強さに流されたのでしょうか。よく思い出せません。「鶴満寺」のように、割り切った俗っぽい寺男だったのかな。
 こういう型の違いで、う~んと思ってしまったのですが、
雲水は、めっっちゃ格好良かったです。これはポイント高い。
今後、別の噺に出てくる、侍役に期待が高まります。宿屋仇とか^^
雲水が、座禅を組んで?一礼する(おじぎの)仕草も綺麗でした。
でも、もっと綺麗に出来るはず!(何このハードルの高さ)。
 そして、最後に、親指を下に向けたのは、本当に一本取られました…。問答の場面も迫力満点で、とどめをさされた感じです。
暫く笑いが止まりませんでした。その仕草をする前に、
親指で、鼻の下をこするんですよ。それがちょっとロックっぽいなあと、
思いました。ツボに入って、やられてしまいました。
 もしかして、古典が好きな方には、嫌がれるかも(汗)。
でも、こういうの好きです。

※追記、そうばさんの型の方が古い気がする。その型を整理して、新たな設定(辰がニートくさいとか、寺男が年配っぽいとか)を追加したのが、米紫さんのしている型じゃないのかな。私は古い型の方が好きになりやすいのですが、米紫さんの噺が凄すぎて、彼のものが基本形になってしまっています。


お次は、雀五郎さん。
「初天神」は、雀の学校以来、二回目です。
あの時は、寅ちゃんの父親の荒っぽい言葉遣いが、
気になってしまったのですが、(将来、寅ちゃんも、
こういう言葉遣いになったらどうしよう、という心配)
言葉の荒さが気にならない程度までおさまっていて、
ほっとしました。
 サゲまでいかず、みたらし団子のところまで。
全体的には、前より良くなっている印象。
(というより、雀の学校が不調?だったのかな)
惜しい、と思ったのは、
雀の学校で、これは! と思った箇所が、
今回、出せていなかったところです。
 寅ちゃんが、近所のおじさんの所に行って、
「おっちゃん、おもろい話したろか」
と言うと、おじさん、
「…したってぇな。おっちゃん、ちょうど退屈してたとこやねん」
この“…”のタメの間が上手くはまると、
本当に、このおじさんが暇でしょうがなかったんだなぁと
伝わってきます。たぶん、この“…”は、
表情を出すところなんでしょうね。【おもろい話、待ってたんや】という。
ここの間合いは、実は、紅雀さんよりも、雀五郎さんの方が良いなあと
思っていた箇所なので、無くして欲しくないなあと思います。
 それにしても、雀五郎さんの演じる子供が
いつも可愛すぎてノックアウトです(笑)。にこっと笑うと、
八重歯(?)が見えるんですよね。そこで余計に愛嬌があるように
感じるのかもしれません。



お次は、九雀さん。
急に、年季の違うベテランさんがご登場。
順番から云えば、紅雀さんが来そうな所だと思うのですが、
彼は、中入り後、トリの前のモタレというポジジョンになってます。
これも修行の一つなのでしょうか。
 何だか、九雀さんのポジションが一番難しい気がするのですが…。
前の若手二人は、聞き覚えの多い古典的な噺をする事が、
多いですから、ここで、お客さんを飽きさせないよう、
空気をガラッと変えなければなりません。
古典的な噺を出すにしても、後に中トリが控えていますから、
大きなネタは出せないんですね。
長すぎず、短すぎず、重たすぎず、軽すぎず。
やはり、明るくて、ふわっと笑える噺が欲しいところ。
紅雀さんなら、「花色木綿」とか「向う付け」かな。「代書」もアリ?
兄弟子の九雀さん、やってくれました。
新作落語です。しかも三つ目に相応しい内容。
肩が凝らなくて、本当に助かりました。
新作は、誰かと比較することが少ないので…。
古典が続くと、やっぱりしんどいです。
 「僕は廃品回収業」は、NHKでは「リサイクルマン」という題で
出されていたようです。「浮かれの屑」の現代版のお噺。
古典と違って、現代ですから、
主人公が上司から注意されるたびに、首にならないかどうかドキドキ。
それでも、都はるみの歌の替え歌、凄く楽しかったです。^^
【白菜の嘆き】(勝手に命名)は爆笑でした。
 時代劇について熱く語るところも面白かったです。
主人公って、一見、俗っぽいんですが、
普段、聞き手が、もやもや~と思ってることを、
ずばっと言ってくれるので、胸がすくような思いをするんですね。
噺は半ばで終わってしまいましたが、主人公の将来が心配です(笑)。
 実は、噺の後半も気になるのですが、九雀さんの「浮かれの屑」も、
ちょっと聴いてみたいなあと思ってしまいました。
比較してみるのも面白いかもしれません。
五代目文枝さんのCDを聴いたことがあるのですが、寝ちゃったので、
生の噺って、どんなんかなぁと思っています。
 話は前後しますが、この会で唯一、耳寄りな面白いマクラ(吉朝さんがちょっと出てきました)を話してくれたのも、九雀さんだけでした。今から思えば、この昼席のメンツ、世間話を苦手とする噺家さんが集まってしまった感がいっぱい(笑)。色んな意味で、この会の救世主でした…。


お次、中トリは、宗助さん。
トリ(最後)をつとめる方って、やっぱり、マクラを
余り話さないんですね。マクラは、お客さんを温めるものですから、
もう、それまでの出番の噺家さんが、温めちゃったので、
必要ないということなんでしょうか。だとしたら、今回は、
もう温め済みということなんでしょうね。^^
話し始めて、すぐ何の噺かピンと来ました。
これは先月の get's 待っツ亭で、佐ん吉さんのものを
聴いたばかりです。「抜け雀」。
 繰り返しの場面を語るところは流石です。
聞き飽きさせないですね。最終ラウンドは、簡単にまとめて、
さーっと話している感じがしました。
これがテンポの良さというものでしょうか。
 主人公のお上さんが「ひょろぴー」と言うくすぐりを、
後に出てくる「ちょびぃ」と言うくすぐりと、セットで話していたのですが、これは?? まとめた方が宗助さん的には良かったのかな。私は、「ひょろぴー」でガツンと頭に来て、その後に「ちょびぃ」でドンと腹で受ける、ダブルパンチ型の方が好きなのですが…。(^^;)<いちいち格闘技っぽく語らんでも
 それから「千両」と、宿屋の主人が聴いた時のリアクションが薄くて、ちょっと物足りないなぁと思いました。
 絵の先生や、その師匠の存在感は凄かったです。
 佐ん吉さんの時には、気づかなかったのですが、墨を硯(すずり)で擦った後、絵師は、墨の濃さを確かめず、直ぐに絵を描き始めています。墨の濃度の確認は、した方がリアリティが出るのでは。確かめずに描き出すというのも、名人っぽいのかなあ。墨の濃度の確認は、無駄な所作なのかもしれません。「(薄いから)もうちょっと擦りなさい」と絵師が言って、主人公が毒づいたり、絵師が試し描きをして、「伸びが良い」と地元の水をほめたりするのも面白いように思うのですが。
 余計なことを書いてしまいましたが、貫禄たっぷりの一席でした。


中入り後は、紅雀さん。
この間も、雀三郎さんのモタレで、凄く良い一席だったので、
期待は急上昇(いつでもそうですが^^;)。
 マクラは、あまり固まっていない感じがしましたが、
そういう感じでいいんじゃないのかなぁと思います。
パックに詰められた笑いのマクラじゃなくて、最近思ったこと。
生活保護は月12万もらえる人がいる、事務所に居る人は、
そこまでもらってない人が沢山いるとか、そういう話でした。
 「逆さま盗人」は今年の5月以来。冒頭場面から、
ときめきが止まりません。噺の途中、フライングして笑ってしまったので、
すごく恥ずかしかったです(汗)。
以前より、一段と工夫に磨き(?)がかかっていました。
磨きというか、段階が進んだ感じです。大げさに言うと異次元空間に
突入した感じ(笑)。
自分のブログの検索機能を使って、変遷を追ってみました。
・2010年11月以前 たぶん、主人公が悪い友人に勧められて博打にハマってから、お上さんが出て行ったという設定だったように思います。博打→奥さん家出
・2010年11月「生喬まるかじりの会」にて、お上さんが悪女で、他に男を作って、家を出て行き、落ち込んでいるところを友人に博打を勧められ、いつの間にか一文無しに。悪女家出→博打 何故、女の人を一方的に悪く言ったのか、謎で不完全燃焼
・2011年5月「岡町落語ランド」にて、11月の設定を踏襲するも、盗人も同じ様な目に遭っていて、主人公に同情し、お金を出すという流れに。これは納得。
・2011年11月「動楽亭昼席」(今回)、5月の設定だと、悪女を仕立てたことになるので(私は気にならなかったが)、それを緩和するためか、主人公と盗人が、同じ女に騙されたという笑話っぽい設定に。盗人は主人公に同情、お金を出すという流れ。これには、びっくり。
 女の名は、お滝(初耳)。同じ女に騙されたと知って主人公「南堀江(川?)の黒真珠!」盗人「○○(失念)の黒曜石!」とお互いに手を取り合って、意気投合(その場面だけ・笑)。
 パワーアップしたとか、磨きがかかったとは、正確には言えません。
まだまだ、これから、という所。
この設定は、まだ出したばかりのような感じでした。
例えば、やなせたかしの「てのひらを太陽に」の歌のフレーズを出す箇所。出すタイミングが遅かったような気がします。
これは、同じ女に騙されたと判明する前、盗人が主人公を説得している最中に出した方が効果的だったのではないでしょうか。
意気投合してから、出すと、何故このタイミングで? と思ってしまいます。
 それから盗人が、いつ刀を直したのか分からなかった、
というのも、これは次回の課題です(前まであった)。
主人公が興奮しているので、「これは直しておこうか」と
刀を退場させる場面は大切だと思うので。
 個人的には、今回の工夫は、ちょっと新作っぽい流れだなあと思いました。紅雀さんが新作落語を余りしない理由は、古典噺が、そういう雰囲気をまとってしまう傾向があるからです。(たぶん)
 でも、本当に衝撃的でした。一つ前の段階も古典っぽい泣かせどころがあって、良いと思うのですが(命を大切に! というメッセージが、それとなく伝わってきたので)、今回の、まさかの大展開にも興奮。
 高座を下りる時、首をかしげられたのですが、
将来、どっちに転んでも良いなあと思いました。
すごく贅沢な二択だと思います。^^
しばらく黒真珠バージョンにして、60歳くらいから、
一つ前の、渋いバージョンにしてもいいんじゃないのかな。


トリは、雀三郎さん。「胴乱の幸助」です。
彼の実力の底を、まざまざと見た思いがしました。
正直言って恐いです。
紅雀さんもいつか、この境地に行けるのでしょうか…。
 どんなにシュールな展開でも、台詞でも、
それがあって、自然だと思ってしまうんですね。
何の違和感も無く、物語の中に入って行けてしまう。
ご自身の芸を出すのに、何のためらいも迷いも無いように
感じます。やっぱり迷いが高座に出るのはダメなんだなあと思いました。話し手が、語ることに対して完全に集中できていない証拠。
 本当のベテランさんって迷いが無いんだなあと思いました。
(あるかもしれませんが、それを高座に持ち込まない)。
全ての意識が、噺と、お客さんとの呼吸に向けられています。
これは凄い、と思いました。
 主人公の幸助が、京都に行くことになったとき、
「これから、どうなるんだろう?」
と、ドキドキしました。完全に噺の世界に入ってました。
 雀三郎さんの一番すごい! と思ったところは、
いわゆる古典落語と呼ばれる、昔の人が彼らの呼吸で作ったものを、
その呼吸でさえ、自分のものに出来る、という点です。
本当に、古典って、良く分からない展開や、変な台詞、間合いが
あるんですよ。その穴を埋めて、ちゃんと面白く出来るのって
凄いことだと思います。
 新作落語は、そういう穴が少ないように思います。
話し手が考えて埋めなきゃいけないところを、
作家が、先に埋めてるんですね。この穴は、噺家さんにとって、
本当に残酷なものだと思います。
埋められなければ、すべって、面白くないと言われ、
埋めることができる噺家さんに対しても、
コンプレックスを感じるでしょう。
でも、これを乗り越えた時の喜びは、何ものにも、きっと
替えがたいものなんでしょうね。
 この穴、この日の雀三郎さんは、全部埋まってる感じ
がしました。殆ど塞がってて、自由に噺の道を歩いている印象。
ほんと、凄いものを見てしまいました(><)
 ええと、ちょっと疑問に思ったのは、
京都の人って、あんなにバンバン人を叩くものなんでしょうか?
主人公は背が低いから、叩きやすかったのかな。


最後になりましたが、この日、
もずさんと一緒に、参加してました。^^
いつも、私のうわごとに付き合って下さり、有難うございます。

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