落語の“繰り返し”部分

落語に出てくる、単調な“繰り返し”部分について、
それをどうすれば良いのか、素人なりに考えてみました。

ここはやはり、若手の噺家さんが苦手とする、
“引き”の場面だと思うんですね。
言葉の繰り返しなので、単調になりがちです。
どうすれば、お客さんの意識を向けられるのでしょうか。



まず、落語会に行くお客さんは、
落語が好きなのはもちろんの事、
出演者のことも、そこそこ好きなはずです。
(中には、強烈なファンも^^;)

だから、出演者の落語で、
ちゃんと笑いたいとか、感動したいという期待が
寄席小屋の中に充満しているんですね。

噺家さんを「釣り人」に喩えると、
お客さんは「魚」です。
食いつける、「餌」を待っている状態。
たとえがアレ過ぎて申し訳ないのですが、
餌は“芸”だと思ってください。


ここぞという時に、笑いを取れる場面が、
どの噺家さんにも、あると思います。
“ここは外さないぞ”と云う鉄板の所ですね。
そこを釣りでイメージすると、
「底引き網」だと思うんです(釣りちゃうやん)。
根こそぎ獲っちゃうという…。
豪快な、一本釣りでもいいんですけれども…^^;


それで、落語の“繰り返し”部分って、
イメージ的には、
「撒き餌(まきえ)」なんですよ。
大きな魚を捕るための、布石ですね。
そこでも、やはり、
何らかの“芸”を出さないといけません。


“繰り返し”部分で、良くあることは、
噺家さんが、
「言葉をなぞっている」(又はそういう風に見える)現象です。
ご本人の、集中力も“芸”ではない方向に向いていると
思うんですね。

ご本人も退屈して語っているように感じるんです。
(それか、これで大丈夫なのな? という不安をどこかで感じているような)

ここも面白いところなんだ、大事なところなんだ、
聞き手をここで引き込みたい。
そう云う気迫が足らないような…。
(あくまで“引き”の部分なので、リキみすぎても駄目だと思うのですが)


この“繰り返し”の“引き”の部分は、
噺家さん自身が、
楽しんで語らないと、どうにもなりません。

祖父祖母が、孫に物語を聞かせるときの気持ちというのでしょうか…。
こういう面白い話があってね、という。

それか一ヶ月くらい入院生活をして、
久々に高座に出て、話すのが楽しくて仕方ない、
という気持ち…。(難し過ぎる)


大体、“繰り返し”の部分は、
3ターン以上あると思います。
①少しずつ語調を強めていく、とか、
それから、②話し手の生き生きとした表情
があれば、
聞き手のお客さんも、自然と引き込まれていくような
気がします。


ここの“繰り返し”の部分は、
実は、噺家さんの調子のバロメータにもなっています。
成功したら、
相当、調子が良い時です。

『くしゃみ講釈』にも、
主人公が「胡椒」「横町の八百屋」「二銭」を、
繰り返し忘れる場面がありますが、
紅雀さんの語りは、
最近、凄く楽しんで聞けるようになりました。^^

「延陽伯」の火事の妄想場面では、
(主人公がお嫁さんの名前を延々と言うところ)
やや、集中力が途切れかかっているようにも見えましたが。
(余計な事は言わんでよろしぃ)

それだけ、難しいという事ですね。

それでも、
噺家さんの生き生きとした表情は、
どんな場面であれ、お客さんが切望していることだと
思っていただいて間違いないと思います。

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