気弱な若旦那

妹から、
気の弱い若旦那が落語に出てくるようになったのは、
いつ頃なのか?
崇徳院の歌に着目するよりも、
そこから見ていった方がいいんじゃないかと
言われ、目から鱗でした。


確かに、元禄時代を中心にした
「軽口本集~近世笑話集(上)」(武藤禎夫 校注・岩波文庫)には、
全くと言っていいほど気弱な若旦那が出てきません。

次の、安永期を中心とした
「小咄本集~近世笑話集(中)」から、
気弱な若旦那が出てきます。千両蜜柑の原話。


 分限(ぶげん・金持ち)な者の息子、照りつづく暑さにあたり大煩い。なんでも食事進まねば、打寄つて、「何ぞ望みはないか」との苦労がり。「何にも食いたうない。そのうち、ひいやりと蜜柑なら食ひたい」との好み。安い事と買いにやれど、六月の事なれば、いかな事なし。ここに須田町(すだちょう・東京都千代田区神田)に、たった一つあり。一つで千両、一文ぶつかいても(一文欠けても)売らず。もとより大身代のことなれば、それでもよいとて千両に買い、「さあ、あがれ」と出せば、息子うれしがり、枕軽(かろ)く起上り、皮をむいた所が、十袋(とふくろ)《十房の意か》あり。にこにこと七袋食ひ、「いやもふ、うまふて、どふもいへぬ。これはお袋様へ上げて給(た)も」と、残る三(み)袋、手代(てだい)に渡せば、手代、その三袋を受取って、みちから欠落(かけおち・持ち逃げ)。
 

(鹿の子餅・蜜柑・明和9年/1772)


残念な事に、上記の小咄本集は江戸のものばかりで、
上方の小咄本は含まれて居ません。
本の表紙には、
『享保(1716-36)を境に、文運東遷し…』
とあります。文芸の中心が上方から江戸に移ったそうです。

それでも、まったくゼロのはずがありません。
江戸小咄の流行を受けて、
『年忘噺角力(としわすれ はなしずもう』(安永5年・1776年)
『立春噺大集(りっしゅん はなしおおよせ』(同)
など、翌年にかけて7冊出たらしいです。


有名な笑話本ばかりを収録しているので、確かな事は言えませんが、
このシリーズの本だけを見れば、気弱な若旦那は江戸生まれです。

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