崇徳院メモ

松鶴型の熊五郎が、職人さんっぽくて、
米朝型の熊五郎が、喜六っぽいという、違いを発見したのですが、
それがテキスト量の違いにどう結びつくのか、
ちょっと分からなくてメモしておきます。

松鶴型の「崇徳院」はテキスト量が少なくて、
米朝型のものは圧倒的に量が多いです。


以前から、松鶴型には、お上さんが同情を寄せるくだりがない。
と云うことは知っていたのですが、
もう一つ発見。
お嬢さん側の親方が、
床屋に並ぶお客さんを割り込んで入って来る場面がありません。
すっと物語に入ってきます。文太さんもそうでした。


米朝型は、松鶴型には見られない描写が非常に多いです。
これは、
米朝型はテキスト量が多くて、松鶴型は短い理由に繋がります。
テキスト量の多さは、描写の細かさに繋がります。リアリティを出そうとしている。
なぜ、出そうとしているのか。
 松鶴型は、それを必要としていない節があります。
そのままでもリアリティを出せると云う自負でしょう。
確かに、熊のお上さんの出番は少ないですが、
「お上さんはこういうもんだ」という感じもします。噺の一部であって山場ではない。

米朝さんの描写の細かさは、
彼の話すスピードの速さにも理由がありそうです。
一呼吸、間が置けない、と六代目松鶴さんはインタビューの中で、
彼をそう評しています。
「代書屋」の中で、「生年月日は?」と主人公が客に尋ね、
客がボケる場面、四代目米團治は、ボケを聞いてから、間を置いて、突っ込む。
そこで可笑しさを出していた、と書いていたように思います。
逆に、米朝さんは、間を置かず、たたみ掛ける。
その影響で、今の「代書(屋)」全てが、そういうやり方になっていると、
六代目は言っていました。

畳み掛けると、噺が先に進みます。
それでは、あまりに早く話が終わってしまうし、
米朝さんは、たくさん喋って、噺の風景を出したい、という思いがあったのではと。
噺家のタイプによっては、黙ってでも風景は出せます。
でも、「崇徳院」における、米朝さんはそうではなかった。
研究家の一面もあり、言葉をたくさん知っていた。

描写の細かさは、他にも理由がありそうです。
それは彼の師・四代目米團治の考案した「崇徳院」。
速記がなく謎に包まれていますが…

四代目米團治も、自身のこだわりで、
他の人よりも噺が長びいてしまう、とエッセイ(随筆)の中で語っています。
米朝さんが今の「崇徳院」を完成させる前から、
四代目米團治の時から、テキスト量が、五代目松鶴よりも多かったように思います。

噺が長引くこだわりとは、
噺の不自然さ(“彼自身”の興が醒める部分)を出さないように工夫したことです。
古典の噺は、時代とともに、昔は違和感なく聞けた部分が、
今はそう出来なくなった部分があります。

四代目米團治は、噺の不自然さを消すために、遠回りしてでも、
そうなるんだという説明をしたかったのではないでしょうか。
(有名なのは、「猫の忠信」の主人公の、わざとらしい号を出したがらなかった
エピソード。本の中で米朝さんが語ってます)


「噺が長びく」「遠回りしてでも説明したい」…
比較してみましょう。

五代目松鶴の熊五郎は、若旦那から話を聞きだす時も、
その話を親旦那に説明する時も、ボケが少ないです。
※赤字は、相手の型にないくすぐり
①若旦那から話を聞きだす時のボケ
「カステラ幾ら食べた?」
「雨にでも遭うたんだっか(ビチャビチャのお嬢さん)」
「笑ったら負けや」「茶袱紗なんぼで売った」「ぼんくら

②親旦那に説明する時のボケ
「なぜ生玉はんへ遣らんかった」
「カステラを幾ら食べたと思う?」、「ビチャビチャのお嬢さん」、
茶袱紗を幾らで売ったと思う?
ボケはこれくらいでしょうか。「障子貼る」のくすぐりはありません。
これは六代目が復活させました。


米朝さんの熊五郎
①若旦那から話を聞きだす時のボケ
※聞き出す前に、若旦那が「こんな事言うたら笑うやろ?」
「ほたら、お前死ぬか?」と、ボケる場面アリ
→「羊羹いくら食べた?」「向こうの負けや」「猟師がいてるかいな
油虫のまじないで」…歌に関する熊の無知度が高い
また、茶袱紗を幾らで売ったか?と聞くボケが無い。
三百円には目の色を変えるが、ここでは金にがめつくない。

②親旦那に説明する時のボケ
「なぜ生玉はんへ遣らんかった」
「羊羹を幾ら食べたと思う?」、「ビチョビチョのお嬢さん」、
生意気な女だっせ、わてやったらボーンといてこます
(「あんたはんのと違いますか?」…不明。枝雀はくすぐりにしていた)
良助出え」「石川五右衛門の歌」「人食い」「あんたの顔が嬢(いと)はんに見える


松鶴型の熊五郎は、歌に関してやや知識があります。
昔の人の一般常識を持っていたと言えるでしょう。
 もしくは、若旦那の言う事自体は分かっていなくても、
内容を覚える能力を持っています。
 松鶴型の熊五郎が、
前半、比較的大人しく人の話を聞くことができ、
また親旦那にそれを説明することができるため、
従順なイメージがつくのは、このためです。

一方、米朝型の熊五郎は、歌に関して全く知りません。
短歌に縁の無い生活をしている(と思われる)熊五郎が、知っているはずがない、
という設定なのでしょう。分からないことに関してどんどん突っ込んできますし、
間違った覚え方をしているので、粗相者のイメージが強く残ります。

熊五郎が、歌に関して無知で、そこのやり取りが長い、というのは、
四代目米團治の時からそうだったような気がします。
彼ならやりかねない(笑)。特に「良助出え」というくすぐりは、
時代を感じさせます。今は料紙→猟師→「狩人を出せ」の方が
多く、ほぼ廃れたくすぐりだと言えるでしょう。


しかし、
三百円には飛びつくのに、「茶袱紗を幾らで売ったのか?」
と聞かないのは不自然のように思います。
…よく考えれば、茶袱紗は、若旦那の目の前にいるお嬢さんの物だし、
盗人根性っぽい熊五郎のくすぐりを出すのは嫌だったのでしょうか。


「三百円出そうやないか」→熊五郎が欲に取り付かれる
ここの場面、四代目米團治が入れたのか米朝さんが入れたのか、
気になるところです。ここの場面まで、米朝さんが入れたとなると、
四代目米團治のやり方(個性)が、短歌を思い出すヒントのくだりしか
残ってきません。

「三百円出そうやないか」と親旦那が言う場面は、
松鶴型なら、「お上に訴える」と言う場面です。
親旦那の無茶ぶりを回避しようとしているように見えるのですが…。
 しかし、ハードボイルドな(勝手に命名)四代目米團治が、
そういう台詞を回避するために、別の台詞を入れたりするでしょうか?
う~ん、熊五郎に盗人根性を備えさせたくないという思いからすると、
かなり感情移入していた可能性もありますね…。

ここの場面は、どちらの台詞を言うのかで、噺の雰囲気が変ってきますので、
wikiに書いてある通り、「四代目米團治のやり方」があるとすれば、
どうしても、ここの場面を指していると考えてしまいます。
・松鶴型 褒美を一気に言ってしまう→お上に訴える
・米團治型 褒美をぼやかす→三百円出す(欲と二人連れ)
   ↑あくまで仮定です。速記が無いので^^;


しかし、
奥の離れに熊五郎が行く時に、薬の臭いがぷ~んとして顔をしかめる、
という場面と、
熊五郎のお上さんが、同情を寄せる場面は、
米朝さんが考案したっぽい感じがとてもするんです。
何となく、
四代目米團治の臭いがしません。
彼は、小道具を出さないし、情を持ってこない人です。(ここまで言い切るか?)
米朝さんの「菊江仏壇」と四代目米團治のものを読み比べたら、
そう思いました。

私は「菊江仏壇」に関して言えば、
四代目米團治のテキストの方が好きです。
米朝さんと趣が違う。若旦那が堂々として悪の華という感じがします。
ただ、米朝さんのテキストよりも難度が高くなっており、
これを演じきる噺家さんがいるとは到底思えません。

やはり、米團治型を演んじる人は居ないのでしょうか…。
師匠の型を、別の一門の噺家が継いでいることは
珍しく無いように思うのですが。
 六代目松鶴門下は、
師の型を継いではいけないという不文律さえ感じます。
「同じ事をするな」と。
松鶴型の崇徳院が、松鶴一門に多く継がれていない理由はここにありそうです。
文枝、春團治一門の噺家の方が、色濃く松鶴の型を継いでいます。

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