五代目桂 文枝さんの「崇徳院」

長いメモになります。

音源は、
ビクター落語 上方篇 五代目 桂 文枝(2)
紙屑屋/崇徳院/動物園
[録音] NHK「上方落語の会」第54回より
1968年(昭和43年)12月21日 日立ホールにて収録
38才の小文枝時代のものです。

1971年に、文太さんが入門する頃には、高座に余りかけなくなっていて、
晩年思い出したように高座にかけられていたようです。


三、463号笑呆亭/「崇徳院」から 桂 文太(五代目文枝門下)

  師匠五代目文枝の型で、師匠には五代目松鶴師匠から伝わっている。若い頃よく演じたそうだが、私が入門した頃は、「この頃、みなよう演るさかいなあ」と言われ、あまり演じられなかった。晩年、思い出されたようにちょこちょこ演じられた 
…(文太・談)

上記の文は、田辺寄席HP、2008年6月の演者・演目録ページにあります。
(Ctrl+Fで「崇徳院」と検索してください)


五代目文枝さんの「崇徳院」って、殆ど、五代目松鶴と同じなんです。
六代目松鶴も、春蝶さんも、五代目松鶴の内容に手を加えていて…
私が知る限り、音源で確認できるものの中では、
一番古いタイプの「崇徳院」です。

何となく、五代目松鶴の「崇徳院」に手を加えたくなかったのかなあと。


ここから先は、音源を聴きながらメモした事なので、
かなり内容に立ち入っていますから、お気をつけ下さい。

マクラは、紅雀さんが時々使う、小咄(吃驚)!
娘が父親に結婚を反対されていて、
相手は昔、父親が付き合っていた女性の子どもだと。
母親はそれを聞いて、激怒するも「結婚しはなれ」、と。
一見ヤケクソな台詞だけど、オチを聞くと成程(^^;)

小文枝さんは、娘が「息子」になってました。
悩み事を母親に打ち明ける息子ってちょっとレアかも(^m^)
娘の方がしっくり来るけど、昔は息子の小咄だったのかな?

・天下茶屋から帰ってきた熊五郎
お上さんがワザワザ呼びに来た?(メモが欠損してます;)
と、なると、五代目松鶴と一緒。
米朝さんは、
守口(ではないこともある)から帰ってきたら、
お上さんから「ご本家から急の使いが来たので、早く行ってきなはれ」と。

・熊五郎が、若旦那が死んだと勘違いするくすぐりは無し
五代目松鶴はあります。ここは紅雀さんもカットしたところですね。

「大きな声は地声です」「へえへえへえ、そうでっか」のくすぐりあり
これは五代目松鶴もありました!米朝さんは使っていません。
うろ覚えなんですが、春蝶さんもカットしたくすぐりだと思います。
※すみません、ちゃんとありました(^^;)
文太さんがこれを使ってくれたので、涙が出るくらい嬉しかったです。

・若旦那「店の子どもを連れて…」出かけた
五代目松鶴は“丁稚”。二代目三木助も四代目松鶴の速記も同様。
最近は殆ど「定吉を連れて」と言いますね。
丁稚を「子ども」と言うのは古い言い方だと聞いたことがあるんですが、
明治(三木助)・大正(四代目松鶴)の速記では、どちらも「丁稚」と言っています

熊五郎、仁徳天皇の古歌をそらんじる
五代目松鶴も言います。文太さんは言ってませんでした。(たぶん)
米朝さんも言いません。賢い人の設定になっちゃうからでしょうか。
これは恐らく五代目松鶴が加えた部分で、
二代目三木助や四代目松鶴の速記にはありません。
熊五郎が歌を詠んだわ!と聴いた瞬間、悶えてしまいました。

私は言うほう、あんたは聞くほう。ちょっとは黙ったらどうや
若旦那がお喋りな熊五郎に苦言。
五代目松鶴―五代目文枝―文太。これ言える噺家さん殆どいないと思います。
この後に続く台詞が難しい、噺の流れが途切れやすくなるんで。

熊「雨にでも遭(お)うたんでっか」 若「何が」
この、「何が」という台詞がめっちゃ可笑しいwww
これ文太さん言ってたかな?覚えている限りでは、五代目松鶴―五代目文枝―仁鶴さん?

・熊「若旦那、根性悪いわ、英語使こて
これは五代目松鶴の速記にはありません。三代目三木助から入ってきたのかな
今でも使っている噺家さん多いですけど、ちょっと古さを感じます。
文枝さんが言うと、面白いから不思議。時代を感じるくすぐりです。

・(お嬢さんが)お供の者に「料紙を」と…
五代目松鶴と一緒の言い方。米朝さんは茶店までお嬢さんを行かして、
そこでお店の人に「料紙を」と言うやり方。

・(崇徳院の歌は)心の誓詞(せいし)や。
五代目松鶴も、米朝さんも使ってない言葉。仁鶴さんは使ってました。
六代目松鶴の速記(講談社)には載ってないですね。

・若「あんたの顔もお嬢さんの顔に見える
五代目松鶴には無いくすぐり。六代目以降?米朝さんも使ってます。

・熊五郎、崇徳院の歌を忘れて「障子貼る」と口走る
五代目松鶴の熊五郎は、崇徳院の歌を覚えているので言わない。
ところが、二代目三木助、四代目松鶴の熊は覚えておらず「障子貼る」と口走る。
六代目松鶴は父親に反して「障子貼る」の歌を復活させた。
文枝が五代目ではなく六代目を取ったというのは、噺家の判断でしょう。

・熊「いんじゃもんが泣いてまっせ」
米朝さん以外にも言う人がいた!文太さんも言ってます。
文太さんが最後の一人(ラスト・いんじゃもん使い)になるのだろうか…

・お嬢さん探しの報酬…借金帳消し、一時のお礼、一生出入り頭。
五軒の借家は出てきません。

五代目松鶴は、五百円の借金帳消し、別に五百円遣る、一生出入り頭、でした。
二代目三木助、四代目松鶴は「五軒の借家」と言ってます。
借家を言わないのは、五代目松鶴と、文枝さんくらいかな?
六代目松鶴、米朝さんは言ってます。

親旦那から貰うのは草鞋(ワラジ)のみ
これは五代目松鶴も一緒で、お櫃のご飯とお漬物は無しです。
五代目松鶴―五代目文枝―春蝶。東京の崇徳院も草鞋のみが殆どだと思います。
※文太さんはお櫃ご飯+お漬物があります。

二代目三木助、四代目松鶴は「草鞋十足と、握り飯の弁当」です。
六代目松鶴はそれを復活させて、工夫を付け足しました。
草鞋五足、お櫃を背中に背負って、お漬物(丸ごと?)を首から下げます
米朝さんはそれをやや変えたやり方。
草鞋三足、お櫃を首から下げて、お漬物をそのまま渡します

・結納の日にち
今月の25日。松鶴型です。
これは、五代目松鶴―文枝―春蝶―文太さん。
米朝さんの型だと、「あさってが誠に日が良いので…」と言います。
こちらの方が笑いの量が多いと思います。
もしかして、米朝さんってせっかちな人なのかな?と思う瞬間(笑)
 ちなみに、二代目三木助、四代目松鶴は
「今日は二十五日、倅の為には吉日や」と言います。
今日、結納をする気だったんですね(^^;)<上には上がいた…

・「寝なはれ、寝なはれ…はよ起きなはれ!
熊のお上さんの台詞。これ、五代目松鶴には無いです。
文枝さんが作ったくすぐりでしょうか?^^
仁鶴さんもこうやったかなあ。
ちなみに、米朝さんは逆で、起きなはれを連呼。
「寝なはれ!(熊「おやすみ」)さあ、起きなはれ!(熊ぼやく)、起きなはれ!起きなはれ!」
全体的に米朝型は、台詞も多くスピーディな印象です。
松鶴型は、比較的まったりした感じ。


・「せをはやみ」の第一声は急にどなる
熊五郎は余り練習をしない。
【イワシ屋はん!→「気違いや」と子ども。にた~と笑いながら付いて来る】

路上で「せをはやみ」と言って小さな騒動が起こるのは、
五代目松鶴からで、それ以前は、直ぐに床屋に行っていた。
但し、五代目は、
【路上で悩む→子供が「気狂いや」と付いて来る。イワシ屋は無い】
イワシ屋は六代目が導入したっぽい。
【路上(人の居ないところ)で練習→イワシ屋はん!→子ども無し→犬が盛ってる?この歌が元で?】
※講談社の速記で、CDではまた違うかも(^^;)
文枝さんは、五代目と六代目を混ぜたやり方ですね。

ちなみに、米朝さん
【路上(練習なし)で言う→オカズ屋はん!→子どもがチラシねだる→犬が吼える】

今は、米朝さんのやり方と六代目松鶴のやり方を混ぜたものが主流です。
【路上(練習あり)→イワシ屋はん(オカズ屋の方が少数?)→チラシくれと子ども→犬】
私はイワシの方が好きです。オカズって何売ってるのかイメージしづらいので。


・熊「ちょっと火を…」
キセルを吸う場面。五代目松鶴・六代目松鶴は「ちょっと一服」
米朝さんは「火鉢」。

・客「来年からは幼稚園だ
五代目松鶴・米朝さんは九つ、六代目松鶴は七つ。
「幼稚園」は、文枝―春蝶―文太さん。
幼稚園の子がこんなこと言えるようになるというのは、
ちょっと想像しづらいです(^^;)

・「お茶花のお稽古の」
 「猪飼野(いかいの)に嫁入りしている乳母(おんば)どん」
文枝さん、ここも五代目松鶴と一緒です。“猪飼野”は仁鶴さんも言っていたような。
六代目松鶴の講談社の速記にはないですね。CDだとどうなんでしょう。
米朝さんは、
「下寺町で、お茶の会のあって」、乳母どんの嫁入り先はWeb速記だと言って無いです。
速記本の中では、嫁入り先が「河内の狭山」になってますね。

・「出し抜けに出てきやがって
これは、五代目松鶴の速記にはありません。
文枝さんが入れた工夫でしょうか。^^
やっぱり日暮れ時なんで、急に出てきた!と云う台詞はあると嬉しいです。


商売用の鏡が割れた
ガラガラガッチャ~ン。小拍子をガチャガチャ。

 五代目松鶴との最大の違いは、ここですね。
五代目は、瀬戸物が割れてからサゲを言うという速記でした。
瀬戸物屋さんも出てきます。これは二代目三木助、四代目松鶴もそうでした。
 ただ、五代目は「人徳」のサゲも使っており、
ラジオでは、それを使わなくて、伝統的なサゲにしました。
六代目松鶴が、「人徳」サゲを使うのは、
お父さんの仇を討つような気持ちだったのかなあと思います。
(五代目が生きていたときは「人徳」サゲの評判は良くなかったようなので)

 鏡を割れるサゲを、上方で始めたのは誰だか気になります。
四代目米團治かなあ、と思うのですが、速記が無いのでなんとも…。
 彼の線が薄いとなると、三代目三木助が戦後していたということで、
彼から学んで米朝さんが導入したのではないかと思います。

 元々、鏡が割れるサゲは東京の、柳家金語楼の「皿屋」(昭和2年)が初出です。
四代目米團治が導入したとしても、東京から導入したサゲであることには、
変わりありません。
 昭和23年、五代目松鶴の「崇徳院」は“瀬戸物”のサゲでした。
五代目の死後、六代目は“人徳”サゲを使い始めます。
私は、文枝さんが“鏡”のサゲを始めたのではなく、どなたか先行者がいて、
その人に習ったように思うのですが…。やっぱり5歳上の米朝さんかなあ

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