「難波戦記」(一)~軍師・真田 幸村~

2011年7月15日(金) なんば・徳徳亭


旭堂 南舟
「?(本家猫餅・元祖猫餅が出てきて、左甚五郎が出てくる話)」

旭堂 南海
「難波で聴く『難波戦記』(一)」~軍師・真田 幸村~


落語「くしゃみ講釈」に出てくる講談の場面を、
聴こうと思って出かけたのですが、話はそこまで行きませんでした(^^;)
まだ幸村が大坂方に付く手前の部分で、いったん終了。
「くしゃみ講釈」の難波戦記は、
もうすでに幸村が大坂方の仲間になっています。
やっぱり仲間になるまでに色んなエピソードがあるんですね~

3年ぶりの南海さんの講談、やっぱり面白かったです。^^
月末亭は行けなかったけれど、悔いはありません。


南舟さん、前座(講談でも前座と言うのでしょうか?)として高座に上がりますが、照明が点かず、徳徳亭にまだ2回目しか来たことの無い私は、こんなもん?と思っていたら、照明が点きました。性格が暗いので、あのままでも良かったのですが…と云うような事をぼそっと仰って、マクラと云うかご挨拶の声もおどおどした声。大丈夫?初舞台なの?と思いきや、講談が始まると堂々とした声!まるで別人のようで吃驚しました。やや低い声(だと思う)でゆっくりと語ってくれる調子が聞いていて心地よかったです。内容は、左甚五郎が、ノミ(彫刻刀?)とツチ(金づちのツチ?)を持って旅をしていると、道すがら、「元祖猫餅」と「本家猫餅」というお店を発見します。片方はお婆さんが店番をして、片方は芸者の格好をした若い女の子が餅を忙しそうに運んでいます。左甚五郎は、近くにいるお百姓に、店について尋ねますが…。そのお百姓が言うのには、お婆さんの家には猫がいて、ちょっとした芸ができるのでお店が繁昌した。それを見た庄屋の息子が羨んで「猫を貸してくれ」と。(後は「花さか爺さんに」似ています)。省略。猫も死んで、お婆さんは一人商売をしている、それを見た左甚五郎は、今こそノミとツチの出番だと思い…。そこで話は一端終わってしまいました。続きが気になります(>_<)


南海さん、「左甚五郎の話の続きを言いますと…。左甚五郎は、ツチとノミで庄屋の息子を刺すんですね。それで逃げてしまう。動機があるのは、息子に恨みを抱いていたお婆さん。牢に繋がれます。そこで「おのれ左甚五郎」と恨みながら死にました」。それを聞いたお客さん、くすくす笑い。粗筋を簡単にまとめましたが、本当は講談っぽいストーリーで語ってくれました。見台を叩くタタキで、叩く場所を確認。「ここがいい音でますね」と、探り探り。見台の上には時計と古そうな和綴じ本。講談って暗記じゃなかったの(?_?)と思いましたが、どうもマクラ(講談でもマクラと言うのでしょうか?)のネタに持ってきた本みたい。「『難波戦記(一)』とチラシにありますが、あれは“横棒”と読みます」と(「難波戦記(二)」は未定だとか)。それから、「難波戦記」が誕生したきっかけは、徳川側が、勝者の視点で書いた「難波戦記」を全国にまいて、それを読んだ大坂人が「じゃあ、こっち(真田)側から書こう」という事で、大坂の人が喜ぶ「難波戦記」が“換骨奪胎”して、幕末?明治始め?(失念)に今の形が完成したそうで、講談師もその作業に携わったとも言われているらしいです。話は前後しているかもしれませんが、南海さん、和本を手に取って、「猿飛佐助は明治時代に忍者のヒーローとして登場しましたが、それ以前は、地味?な存在で、忍者かどうかも分からない時代がありました。この本に出てくる猿飛佐助は、恐らく日本最古のものだと思います。(会場に小さなどよめき声)。(本を開いて)ええ、ここです。ここに(本の字を指で追って)猿…飛…佐…助の名前があります(またどよめき)。って皆さんそこ(客席)から絶対に(字が)見えないと思うんですが(笑)。(数行朗読)。真田親子が城を出て行く時に、二人の家来が諸国を見て回るように命じられて旅?に出ました。その家来の一人が猿飛佐助です。諸国を見て回る使命を負った辺りに、何となく忍者らしいにおいがするんですね」。この説明の前に「本に虫が食って…」と言っていたような気がします。ちょっとうろ覚えなので、余り当てにしないで下さい(汗)。

講談のマクラ(?)も落語と一緒で、いつ本題に入ったのか分かりにくいですね。話は多分、真田親子三人の家族会議から始まりました。鼻と鼻が付きそうなくらい顔をつき合わせて、真田のお父さん、真田の長男、真田の次男(幸村!)が話し合い。そこへ火急?の知らせを持ってきた家来が中へ入ってくるのですが、真田のお父さん「たわけが!!」と下駄を家来の顔に投げつけ、鼻血が、どばっと…(ひえ~)。家来は「失礼しました!」と言って引き下がる。普段は温厚な真田のお父さん、怒鳴った理由は、お家の将来を話し合う大事な時に入ってこられたから、というもの。お父さん、格好良い!講談を聞く前は、真田に惚れたらどうしようとか思いましたが、お父さんの方が格好良いです、今のところ。家族会議は、真田の長男を説得して、徳川側へ行け、と。真田の長男は、徳川四天王の一人・本多 忠勝(通称:平八郎)の娘と結婚しており、本多のお婿さんになるわけです。そして、真田のお父さんと次男幸村は反徳川に。これが真田の血を残す知恵らしいです。反徳川と言っても、真田のお父さんと幸村は、関が原の合戦に参加していません。私は真田幸村を何県出身なのか知らなかったのですが、長野県らしいです。今の長野県(昔は信濃国)に上田城があって、そこで真田のお父さんと幸村が立てこもり、家康の後継者である秀忠の足止めをします。この秀忠、大河ドラマではイケメン俳優が演じることになっているそうですが、「あれは良くないですね」と南海さん。上方講談において、秀忠は「あほの」と枕言葉が付くくらいの人物らしいです。南海さんの味付けかどうか分かりませんが、この秀忠、あほだけど憎めない、喜六のような男でした。「上田城には三千の兵が立てこもっているそうな。秀忠、お前ならどのくらいの兵が要るか?」と家康は息子に尋ねます。すると秀忠は「相手が三千なら、六千あれば足りるでしょう」。すかさず家康は「よし、三万やろう」と(笑)。結局、秀忠は三万の兵でも上田城を落せず、関が原の合戦には大遅刻。家康は情けないやら悔しいやら。

 場面は変って、大阪城?で本多忠勝は婿と娘に真田親子の命乞いされて、家康に直訴しに行きます。四天王の内、一人は亡くなって、もう一人は井伊という男でした。もう一人は失念。命乞いに心打たれた本多の勢いに巻き込まれて四天王の二人が付いてきます。井伊はちょっと尻込みしている様子。「ここで私が死んだら、ひこにゃんはどうなるのだ」と云う泣き言。将来は彦根藩の初代当主になる身で、ここで死んだら…というのは歴史のifで面白いですね。本多は家康に、「真田親子の罪を一等減ぜられたし」と願い出ます。家康は「本多、耄碌(もうろく)したか」と。「大方、お前の娘とその婿(真田長男)に命乞いをされて来たのだろう。二人にそそのかされて、主にたて突くとは」とお怒りの様子。そしたら平伏している本多の頭が、ぐぐっと持ち上がって、額越しに家康を眼光鋭く睨みつけます。ここがめっちゃ格好良かったです(>_<)。本多のファンになりました。「耄碌したのかもしれません。しかし耄碌したのは、貴方様も同じでございましょう」と。ここから、本多が家康を言いくるめるのですが、その理屈がすっきりしなくて(汗)。本多は、関が原の戦いで部下が多く死んだのは、真田親子のせいではなく、秀忠とその親家康だと言います。上田城は無視をすれば良い存在だったにも関わらず、息子の武功を立てたいばかりに三万の軍勢を与えた。その三万の軍が、関が原の戦いに間に合えば死なずに済んだ家来も多かったはずだ、と。真田親子は三万に対し三千で戦い抜いた。本多としては、敵とはいえ、武将として認められる存在(と言ったのかどうか覚えてませんが;)。真田親子を敗将として殺せば、上田城の戦いは正当化される。あの戦は不要であり、関が原の戦いに悪影響を与えたのは間違いない。自ら非を認め、その証として真田親子の命を助けよ(と言ったのかどうか覚えてませんが;)こういう事だったのかな?兎に角、本多は、主よりも、敵の肩を持ったわけです。それは家康が耄碌したからだと。殿様も家臣に弱いところもあったようです。特に有能な家臣になればその発言も重い。本多をはじめ他の四天王の二人も、齢は家康とそんなに離れていなかったようです。家康は息子のことで責められると「それを言われると辛い」と言って、真田親子の命を奪わずに、領地を取り上げ、高野山の麓(九度山)に蟄居閉門(ちっきょへいもん)させます。

真田親子は僅かな家来を連れて高野山へ。そこで、大自然の中、真田紐(太い紐)を発明したりします。真田のお父さんが亡くなり、次男幸村の妻も亡くなって、幸村は気が抜けてアホになってしまいます。それが巷の噂になり、家康がそれを聴いた時は、何かの策略に違いないと思い、和歌山の浅田家に幸村を見張るように命じます。やがて京都の二条城で、豊臣秀頼の大臣出世のお祝い会が開かれることになり、家康もそこに参加(というか主催?)します。お祝いの席で、何が起こるのか不安を覚えた秀頼の家臣・片桐(かたぎり)は、味方を探そうと思い立ちますが…。この片桐というおじさんが一本気で面白い。幸村と対照的に描かれています。結局、幸村を見つけるのですが、お祝いの席には行かず、加藤清正が秀頼の代わりに毒まんじゅうを食べて死にます。(加藤清正って、虎退治で有名だと思うのですが、あっけない最期ですね^^; 講談の中では地味な存在でした)。その後、浅田家の家来(山本なんとか)が、幸村を暗殺しに来るのですが、屋敷に入るなり捕まってしまい、括られた格好で「殺せ」と言うのですが、幸村と息子大助は、そうせずに、浅田家に正義は無いと言って、彼の髷(まげ)を落として、「お前は死んだ」と言います(漫画みたい)。で、山本なんとかは名前を改めて「霧隠才蔵(きりがくれさいぞう)」になった。ここで客席から「おおっ」という声。有名な忍者が誕生したと云う訳です。

徳川と豊臣の戦(いくさ)のきっかけは、お寺の鐘に彫り込まれた文章に、家康が難癖をつけた事から始まります。(あくまで講談の中の話です)。鐘を作った責任者?片桐は、家康が隠居住まいをしていた駿河の城へ向かい、その道中、山伏姿の真田幸村に「行くな」と言われるのですが、自分は何も悪い事をしていないので大丈夫だと言い張ります。家康は、のこのこやって来た片桐に、今回の罪は重いので、「淀君を江戸住まいにさせるか、秀頼を秀忠の家来にするか、(もう一つは忘れました^^;)どうする」と聞きます。苦し紛れに片桐は、淀君江戸住まい案を取ります。大坂に帰った片桐は、大広間?で、周囲の人間から「なんちゅう事を約束してきたんや」とさんざん言われます。それで、片桐は茨城のお城へ帰ってしまいました。大阪城を出るときに、後を追って同僚?が声をかけるのですが、そこの場面が良かったです。男の友情って感じでした。いよいよ戦(いくさ)が始まるという時に、軍師がいないぞという話が上がります。後藤又兵衛(またべえ)が、周りの人から「先生」と言われている事に衝撃。司馬遼太郎の小説のイメージが強くて…。でも好きなキャラが講談に出てくると嬉しいですね。少しだけですが、後藤にも台詞がありました。話し合いで、片桐が発見した真田幸村の名前が上がります。その辺りで講談は一端終わりました。

自分の印象に残っている部分だけ取り上げたのですが、随分長い文章になりました。真田の長男の嫁(小松姫)とかも可愛くて良かったのですが…。サブタイトルに「軍師・真田幸村」とありますが、幸村は、まだ九度山にいて、一度も軍を動かしていません。今回の講談では、策士であり、軍師とは呼べないでしょう。幸村の本領が見えないまま次回に行ったので(アホの振りは見事でしたが)、そこが気になるところです。


講談は、けっこう漫画っぽい展開なので、若い人たちにも聴いてみて欲しいです。真田幸村は、戦国のゲームキャラクターとして人気があるようなので、講談も、少しはその影響で若い人たちが来るのかなと思っていましたが、お客さんの中には、それっぽい人は居ませんでした(残念)。それから歴史好きの人とか、司馬遼太郎など歴史小説を一度でも面白いと思った人にもおススメ。自分の好きな歴史の登場人物に命が吹き込まれる瞬間を見ることが出来ます。また化石になりかけている日本語がバンバン出てきます。「身共(みども)」とか、耳にする機会が滅多にないので、ちょっと興奮してしまいました。

※※
「くしゃみ講釈」に出てくる難波戦記は、最後の最後の部分っぽくて、気が抜けてしまいました。「難波戦記(一)」を聴きに行った私って一体(笑)。「慶長十九年もあい改まり、明くれば元和元年、五月七日の儀に候や」という語りが「くしゃみ講釈」に出てくるのですが、五月七日って本当に最終決戦あたりの日付です。今回は「難波戦記(一)」という事でしたが、次回は(二)へ進むのかどうか、ちょっと分かりません。講談で「難波戦記・真田入城」という題のものがあるので、次はそこへ進むのかなとも思います。


2011年7月24日(日)感想を書き終えました。

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

湖涼

Author:湖涼
ブログ管理人(湖涼)の連絡先
jaimo.koryou★gmail.com (★を@に変えて下さい)
@koryou_ツイッターです。
2つのアクセスランキングに参加しています。
にほんブログ村 演劇・ダンスブログ 落語へ
↑にほんブログ村

最新記事
最新コメント
リンク
カレンダー
07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
カテゴリ
月別アーカイブ