ワッハ上方で崇徳院

他の噺には目もくれず(殆ど病気)、
崇徳院だけピックアップして聴きました。

・桂 米朝さん、1991年くらいのDVD。
・6代目松鶴(故人)、1970年(昭和45年)?収録CD。
・3代目桂文我(故人)、1974年、CD
・笑福亭三喬さん、2009年、DVD。


桂 米朝さん、1991年くらいのDVD。
・熊五郎、守口に行っていたという台詞。
(枚方でも、天下茶屋でも遠いと思ってしまう私…)
・さる御名医
(お年は若いがいたってお上手でなという台詞の方が好みです)
・石川や~の歌はテンポが良くて「…違うこれは五右衛門や」で笑。
(熊五郎が余り思案せずに歌をポーンと言うところがいい)
・「三百円!」と熊五郎、「こりゃ堪らんなあ」という顔。
 同時に左手(?)は中指と薬指を折って、他の三本指をびしっと立てる仕草。
 まことちゃんの「ぐわし」みたいな決めポーズだった。衝撃
・旦那さんはワラジを3足くれる。熊さんのお上さんは10足(ここで大笑)
・お上さんが熊五郎に同情を寄せる場面は、割とあっさりしている。文我さん(3代目)もそうだった
・朝から四回目(しへんめ)やであの人。
 (ひらがなを打たないと読めないくらいの大阪弁^^)
・床屋の亭主のカミソリを磨ぐ仕草が凄い綺麗。
 今から思えば少し綺麗過ぎると思う(噺の中で浮いてしまうほど)
 ブラウン管越しに見るとそういう印象。
 磨いだ刃の先を指先でちょいちょいと触れる動作は初めて見た気がした
・一番驚いたところは、熊五郎がキセルを落さないこと。
 米朝一門はよくしているように思ったので。元締めがしていない。
 灰をポンと落として、相手に飛び掛る。笑福亭と同じやり方。
 誰からキセルを落すようになったのだろう、枝雀さんかな?


続いて、6代目松鶴さん。CD。昭和45年?
・男成分が多い落語。こんな噺家さんは初めて。ちゃらちゃらしてなくて格好良い
・上手いとか、そういう次元じゃなくて、懐が深い感じ。
・熊五郎がしっくりくる
・奥の離れの戸を開けた時、薬の臭いがしない
 ※講談社から出ている「上方落語」(笑福亭松鶴著)中にある「崇徳院」と噺の序盤が大分違う。本では旦那さんがあらかじめ息子の病気を聞きだしており、それを熊五郎に伝えて、お嬢さんを探して欲しいというやり方で、熊五郎が若旦那を訪ねたりしない。この日聴いた崇徳院はそうではなく聴き慣れたものだった。
・お嬢さんのお供は2人。5代目は5、6人なので大分減った
・崇徳院の歌は扇子に書く。墨はお茶屋から借りない
・石川や~の歌は無く、思案して「障子貼る」という歌が出た。
 熊が「崇徳院さん」と思い出す
・褒美は、200円の借金棒引きの上、100円+借家五軒
 (熊五郎、借金しすぎ)
・褒美を言われても、欲に目が眩まない熊五郎
・お漬物、腰に2、3本ぶら下げる(ワラジは反対側?)
・「先さん、分からん」とはっきり旦那さんにものを言う。
 米朝さんの熊は、ほにゃほにゃ言って「何言うてんのか分からん」と言われる。
・リミットは五日。お上に訴える。
・「悲しなってきた」と熊五郎のぼやき。この独白が凄く良い。
 『天神山』でも、幽霊の告白に対し、独白に近い茶々を入れていた。
・一番驚いたのは、苦手だと思っていた、熊の奥さんの、
 「今日中に相手を見つけなかったら別れる」という台詞。
 脅しじゃなくて、発破をかけているように感じた。本気で別れる気は無さそう。


3代目桂文我さん。はじめ2代目と勘違いしてました(^^;)
CDの背表紙にある漢字を見間違えたのかな。
・ほぼ、米朝さんと同じ内容だけど、柔らかくて丸みがある印象。
 聴いていてほっとする
・枚方の方へ行っていた、と熊五郎(何の用事でそんな遠くまで出かけていたのだろう)
・薬の臭いがぷ~んとするという台詞もあり
・熊五郎、若旦那の恋わずらいの告白に「赤い顔せんでよろしィ」(優しい!)
・褒美は、借家五軒と10万円。(300円で良かったのでは…)
・「欲と二人連れや!」と米朝さんのやり方の台詞を言ったけど、「お上に訴えます」という旦那さんの台詞もあり、松鶴さんのやり方とそこだけ混ざってる
・日当4銭と聴こえたけど、聴き間違い?
・脈が早くなって来るし…という熊の台詞。米朝さんのテキストには無い
・お上さんに叱られて家を出た熊五郎、あいつは人遣いが荒いとぼやき、
 「この間は、夜中に『あんた○○のところ行って!』と急に言うから、慌てて起きたんや。そしたらあいつ寝言言うとんねん。夢の中でも亭主を使っとる、けしからん」(うろ覚えですがこんな台詞がありました)
・思い切って言おう「せをはやみ」…(特に練習する場面は無し)
・イワシ屋さん、犬が出る
・「可哀想に、あいつ札幌に行きよった」→若手や中堅は「北海道」と言っているような気がする。
・「(略)花咲く春の心地して」→松鶴型
・床屋の鏡が割れるサゲ


笑福亭三喬さん(DVD)
・色んな崇徳院を聴いてかなり勉強した感じ
・全体的には米朝さんの型、という印象
 (熊五郎が褒美に心を動かされる場面や、お上さんが諦めようという台詞を言う)
・噺のあちこちに細かな配慮、仕草あり
・熊五郎が若旦那の寝込んでいる部屋(奥の離れ)を訪れた時、部屋が暗い上に薬くさいので「雨戸を開けさしてもらう」と言う。暗闇の中で会話をするのは不自然だと三喬さんは思ったのだろうか。風通しを良くしようと思ったのだろうか。若旦那のリアクションが無かったように思うので何か一言言って欲しかった。個人的には、雨戸を開けなくても、熊五郎が若旦那の寝ている部屋に入ってきた際、その入り口部分が開いているので、全くの暗闇ではなく、熊五郎の目が慣れて来たら若旦那の顔は見えてくるように思う。
・旦那さんが熊五郎の首からお櫃をぶら下げられるように、お櫃をタスキかシゴキで括りつけるようにする場面があり、どうすればお櫃が首からぶら下げられるようになるのか、三喬さんなりに思案されたよう。まず、シゴキで、お櫃の周囲(胴周り)をぐるぐる巻く(すっぽり落ちないようにタガの下部分か?)。そしてぐるぐるに巻いたシゴキにタスキを括りつけるというもの。他の噺家さんの動作では、本当にそれでお櫃が首からぶら下げるようになるのか疑問に思う部分が多いので、三喬さんなりの答えを出されたのだろうと思う。(お櫃についているカン(金属穴)に紐を通すというやり方もあるようだが、どういった用途を想定してお櫃にカンがついているのか疑問が残る。そういうお櫃が皆無だったとは思わないが)
・2日目の晩に、熊の奥さんが「諦めよう」と言うのは、気が早いのではないかという私の疑問に答えるかのように、三喬さんの熊の奥さんは、徐々に投げやりになっていき「諦めよ諦めよ」と連呼、裁縫を粗く縫い始める。彼女はまだ家主の奥さんになれる夢を捨てきれない、未練が残る様子を描いていた。
・熊五郎がキセルを出す場面で、三喬さんも米朝さんも、私が知っているキセルの出し方(セットの仕方)よりも一動作多い気がする。煙草を詰める部分(雁首)をセットしているように見えるのだが、若手中堅はその動作を省略している(元々雁首はセットされた状態)という事なのか
・札幌ではなく「北海道」と言っていたように思う。紅雀さんもそうだが、北海道の方が笑いが大きいのか?新鮮味が失われてきた箇所の様に思うので、そろそろ一工夫加える時期だと思う。米朝さんが「札幌」と言った時代は北海道が遠いと感じた時代だったのだろう。ちなみに5代目松鶴はアメリカと言っていた、これは受けは良かったかもしれないが現実的ではない。今から思えば三木助の「○○(地方名)代表が発ちましてねえ」という都市対抗リレー?マラソン?の台詞は時代の流行もキャッチしているし、遠くに人々が派遣される様も描けているのだから、妙技だと思う。「可哀想に源助はん、○○に発ちなはった」という台詞で大きな笑いを取らなくても、後からじわじわと、若旦那捜索の模様を面白おかしく描けないものだろうか。のろしを上げるとか。
・三喬さんはキセルをぽろっと落さない。灰を勢い良くたたき出して、雁首が壊れた(取れた?)と言ったように思う
・サゲは床屋の鏡が割れて「割れても末に会わんとぞ思う」
・三喬さんはこの噺に凄く思い入れがあるのか、あちこちに配慮や工夫を入れていた。しかし少し入れすぎたという印象もあり、将来的にはもう少し削った内容の崇徳院を望みたい。ここが彼の頂点ではないように思う。

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