ワッハ上方

 高津神社にお参りした後は、
日本橋の定食屋さんでお昼を取ってから難波のワッハ上方へ。
「上方はなし」という本を探したのですが、
見当たらず…。ちゃんと施設の人に聞けば良かったかなあ。

でも、「落語大百科(3)」という本で、
崇徳院に関する凄い情報が!!
大阪の崇徳院は、昔、3代目三木助と同じように、
偶然、お嬢さんの前に歌の書かれた短冊(もしくは色紙)が落ちてきて、
それを若旦那に渡すというもので、自分で「せをはやみ…」という歌を書かなかったようです。
3代目三木助の崇徳院の出会いの場面が、
余りに大阪と違うので、
てっきり三木助が創作したのかなあと思ったのですが、
違いました。
三木助は大阪のやり方を東京に持って行ったのです。
後から大阪の噺家さんがやり方を変えてしまった。

どうも5代目松鶴が、崇徳院の出会いの場面を変えてしまったようなのです。
「上方はなし」第十九集には、
「5代目の松鶴の崇徳院を聴くごとに、原作のままやってもらいたいと思う」と、
落語ファン(研究者?)から苦言を貰っている文章が載っているとか。
↑木村涛華さんの言いたいことをまとめると、
①落ちは「人徳のあるお方や」ではなく、九谷焼を割って「割れても末に買わんとぞ思う」と言って欲しい。
②お嬢さんが扇子に歌を書くのはどうかと思う。絵馬堂から落ちてきた色紙(そこに崇徳院の上の句がある)を若旦那に渡す方が良いのではないか。
…かなり保守的な人ですね。まるで自分を見ているようです。

同じく十九集には5代目松鶴の低姿勢な文章が綴られており、貴方の言う事も分かるが、私はこう思うので、と。伝統に逆らった理由は書かれているのですが、語調が弱く、ぱっと見、形勢的に不利な印象を受けました。

二十集では、5代目松鶴を半分援護するような野崎万里さんの文章が載っています。
 やはり、お嬢さんの手で崇徳院の歌を書いた方が良いのではないか。
意志表示がはっきりする。落ちてきた色紙に崇徳院の上の句が書かれてあるというのは、
作為的なものを感じてしまう。
 それよりも、扇に歌を書くのは少し書きづらいのではないか。(以下失念)
↑すみません、最後の一行は別の人の発言でした。

以上を踏まえた結果でしょうか、
昭和23年の大阪放送局(恐らくラジオ)の寄席中継台本に載っている
5代目松鶴の「崇徳院」は、
①お嬢さんが「色紙」に崇徳院の歌を書く
②落ちは九谷焼を割って「割れても末に買わんとぞ思う」
…という内容です。
 ラジオだから、遠慮したのかもしれませんね。

ちなみに、6代目松鶴は、
①お嬢さんが「扇」に崇徳院の歌を書く
②落ちは「人徳のあるお方や」
という演じ方にしています。
(※落語会によって変えた可能性も大いにありますが)


5代目松鶴以降、
お嬢さんが崇徳院の歌を、
色紙なり短冊なり扇なりに書くというスタイルになりました。
(現在では、米朝さんが提案した料紙が一般的のようです)


5代目松鶴以前の「崇徳院」の出会いの場面は、
3代目三木助の出会いの場面を大阪弁に戻した感じになるようです。
…という事は、
5代目松鶴の出会いの場面を、三木助流にすれば、
(落ちは勿論、九谷焼を割るもの)
2代目三木助や仁左衛門の「崇徳院」になるのでしょうか。


「崇徳院」が書かれた江戸時代の落語本がどこにあるのか気になるところです。
原話は不明のようなんですが…。

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