二つの型

 上方落語の「崇徳院」は二通りのやり方が存在します。
これは、wiki(崇徳院)に書かれてあることです。

私が勝手に命名しました、
・5代目笑福亭松鶴の型
・4代目桂米團治の流れをくむ桂米朝

恐らく、前者の方が昔ながらの「崇徳院」の姿を留めていると思います。
4代目米團治の崇徳院テキストはありませんが、米朝のテキストを読むと、
どうも5代目松鶴型の「崇徳院」の流れを受けて生まれた「崇徳院」のように思えるのです。


二つの型として分けるポイントは、
噺の中盤から熊五郎の表現の仕方が大きく異なってくる点です。

「崇徳院」では、熊五郎が大旦那から若旦那の一目惚れをした相手を捜すよう依頼を受ける場面があります。
5代目松鶴型だと、
五百円をやる
②お前の借金は帳消しにする
と、若旦那の一目惚れをした相手を捜し出したあかつきの褒美を一気に言ってしまいます。
夕方へとへとになって戻ってきた熊五郎に対し、
「倅の命はあと5日と医者から言われとる。もし相手を見つけ出せず、倅に万が一のことがあれば、あんたをお上に訴える」
と、大旦那は発破をかけます。
熊五郎も、お嬢さん捜しをするのに余り乗り気ではありません。それでも大旦那の言うことに逆らえないし、目的を達成すれば褒美、しなければ訴えられるとあって必死になって捜します。熊五郎の奥さんも大旦那に近い役回りで、5日目の朝には、相手を捜し出さなければ「実家に帰らせてもらう」とまで言います。(※6代目松鶴の音源を聴きましたが、思ったほど強い語調ではなく、彼女の口癖のような言い方の様に感じました)
 熊五郎の表現としては、ふってわいた災難に目を白黒させ、運命に翻弄されるような形になります。演者さんによって噺の印象は違ってくると思いますが、テキストだけを読んでしまうと、ストーリーそのものに追い詰められる熊五郎が可哀想に思えてきます。受け身でありながらもタフな、中年男性のふてぶてしさを熊五郎に備えさせなければ、笑いよりも同情の気持ちが勝ってしまうので、ある程度年季を積んだ噺家さんでないと難しいのではないかと思います。


次は4代目米團治の流れをくむ桂米朝型です。
大旦那から若旦那の一目惚れをした相手を捜すよう依頼を受ける場面で、熊五郎は、
①借金を帳消しにする
②一時のお礼
この二つを、お嬢さんを見付け出したあかつきの褒美にすると言われます。借家五軒はまだ出てきません。夕方へとへとになって戻ってきた熊五郎に対し、大旦那は、倅の命はあと5日持たないと言われている、礼が気に入らんのか、それなら、
①借家五軒をあげる
②一時のお礼は三百円
と、褒美をグレードアップさせます。熊五郎は三百円という大金に目の色を変え、
「こうなったら欲と二人連れです」
と言い、乗り気になってお嬢さん捜しに出かけます3日の猶予を大旦那からもらうという点も5代目松鶴型と違う所です。5代目松鶴型の若旦那の命は「あと5日」で、米朝型の若旦那の命は「あと5日持たない」と医者から言われているためです。乗り気にさせながら「2日目の晩には欲も得も抜け果ててボケ上がってしまった」と熊五郎を急速に疲弊させて笑いを取る場面がすぐに来ます。アップダウンが激しく、米朝型の熊五郎は松鶴型の熊五郎よりも疲れているのが特徴的です。
 米朝型のもう一つの特徴は、熊五郎の妻が夫に労わりの言葉をかける場面が入ってくる所です。2日目の晩、熊五郎が疲れて家に戻ってくると、「もう諦めよ、縁が無かったんや」と声をかけます。そして最後に「せやけど、あんたどんな捜し方してたんや」と聞いてきます。(ここは話題が急に変わるので難しいところです。中堅の噺家さんの中には「あんたが大声出して捜しているのに見つからんなんて」とさらに同情を寄せ、)「だまって歩いて捜していた」と答えた熊五郎に激怒し、「もし見付け出せないようなら実家に帰る」と言い出します。
 米朝型の熊五郎の方がまだ噺の中に救いがある感じがします。
・熊五郎は金に目が眩んで自発的にお嬢さんを捜している
・妻は「実家に帰る」と言い出す前に、一定の理解を夫に示す場面がある
これは5代目松鶴型にはない表現です。ただ、熊五郎の妻が2日目の晩に「諦めよう」と言うのには、彼女にしては少々諦めが早すぎるのではないかと思います。5日も持たない→3日の猶予をもらっても、4日目にまだチャンスが残っていると考えても良さそうなのですが。「諦めよう」と言うくらい熊五郎が疲れて帰って来たのでしょうか。それでも、熊五郎の妻に「夫をせっつく妻」から「一時的であれ夫に同情を寄せる妻」へと転換させたのは、素晴らしい工夫だと思います。同情を寄せたがゆえに怒りも倍増しますので、ここで笑いが取れるのも大きなポイントです。


 5代目松鶴型の熊五郎が思わぬ災難に遭って四苦八苦するのに対し、
3代目米朝型の熊五郎はサクセスストーリーゆえの苦労をしているように感じます。


 ただ、現在もこの二つの型で上方落語の「崇徳院」を完全に分類できるのかと言えば、
私は出来ないと思います。
最近の、中堅の噺家さんの崇徳院をいくつか聴きましたが、
中には二つの型が混在しているものがありました。東京の型が混ざっているのではないかという人もいました。
 笑福亭仁鶴さんの「崇徳院」でさえ、米朝型の影響と思われる部分が入っていたので、二つの型の混在は今に始まったことではないと思います。
一門の垣根を越えて、良い点をそれぞれ選択し、新たな崇徳院が出来上がっていくのだなあと思うと、非常にわくわくします。


※後日追記
「4代目桂米團治型」とした部分を、全て弟子の「桂米朝型」としました。
テキストがきちんと存在することから、こちらの方が確実だと思いましたので。

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